夢で、また逢えたら

オペラ、バレエが大好き。2009年に人生で初めてジャニーズの嵐と出会い、V6三宅健が気になりだし、2016年春に華麗なダンスとアクロバットで魅せるSnow Manに完全陥落。Je t'aime et je t'aimerai pour toujours.

「続・劇場に行こう」 ~涙と感動、最後の「ボレロ」 ~ (2016年1月28日)

あっという間に1月が終わろうとしています。ついこの間新年を迎えたばかりだというのに、月日が経つのは本当に早いものです。

、、、、、なんてことを書いておきながら申し訳ありません。今更ではありますが、昨年末のお話です。

 

皆様はジルベスター・コンサートをご存知でしょうか?

「ジルベスター」とはドイツ語で「大晦日」を表す言葉です。オーチャードホールで毎年行われる、大手企業冠のこの公演は、日本国内で開催されるクラシックの代表的カウントダウンコンサートで、今回の2015-2016年で21回目となりました。

 

過去にも錚々たる演者がカウントダウンを華やかに盛り上げたのですが、2009-2010に引続き、マエストロ・大友直人氏が率いる今回のジルベスターの見所は、なんと言ってもシルヴィ・ギエムの「ボレロ」。

 

ギエムは、パリ・オペラ座のエトワール、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルをつとめた以外に、各国のカンパニーでゲスト・ダンサーとして招かれ活躍した現代最高のダンサーで、100年に1人出るか出ないかとまで言われるほどのバレリーナです。

50歳で引退を決めた2015年、世界各地で最後のツアーを行った彼女がラスト・パフォーマンスの地として選んだのが、日本でのこのジルベスター・コンサートでした。

 

彼女の代名詞のように言われた「6時のポーズ」、、、 1本の足で立ち、もう片方の足を耳につくほどまっすぐ垂直に上げても、彼女の軸は全くぶれることはありません。彼女の身体は信じられないくらい、しなやか且つ強靭で、恐らくすべてのバレエダンサーが、喉から手が出るほど欲しい、そんな身体の持ち主です。

 

今回披露された「ボレロ」はラヴェル作曲の10数分ほどの楽曲に、モーリス・ベジャールが振付けた作品で、ギエムの代表作品の1つでもあります。

ベジャールが認めたダンサーのみが踊ることを許されている作品で、踊りたいからと言って誰もが踊れるわけではありません。ギエムは「踊ることを許された」ダンサーの中の1人なのです。

休みなく単調なリズムを刻み続け、踊り続け、後半に行けば行くほど動きが大きく激しくなる容赦ない振付けで、魂が入り込んだ一流ダンサーの踊りは観る人を圧倒します。

 

指揮の大友直人氏が薄暗い舞台の上、僅かな灯りの中でそっとタクトを動かし始めると、静かに静かに音が流れ始めます。

真っ暗な舞台の上、赤い円卓の上に立ったギエムの手だけにスポットライトが当たり、まるで天の岩戸を少しずつ開いていくかのようにゆっくりと弧を描いていきます。単調なリズム、単調な動きから始まり、楽器が加わっていくに従い、ライティングも踊りも少しずつ変化していきます。彼女が旋律を踊り、男性のみで構成された群舞がそれを取り囲むようにリズムを踊ると、舞台の上もオーケストラも、そして観客も音楽と共に少しずつ高揚していき、あとはクライマックスに向かってただただ一気に昇華していく、そんな作品です。

 

彼女が踊る姿を観るのは本当に、本当に、本当にこれが最後だと思うと、瞬きも息をも止めたい気分でした。

非常に丁寧に踊っている彼女を観ていると、引退するなんてとても勿体なく思うのですが、全ては彼女の決断。とにかく、ラストを迎えるこの空間に共にいて、同じ空気を吸っている幸せと感謝、今この目で舞台を観ている感動だとか、淋しさだとか、過去に観に行った舞台での彼女の姿を思い出したり、全ての感情が一気に上がってきてしまいました。同時に、その場にいることが実感できないようなふわふわした不思議な感覚もあり、そんな中で、彼女の魂のこもった一挙手一投足を見逃さないよう、ただただ舞台を見つめるのみ。

 

終盤に向かうにつれ、ギエムの踊りも表情も凄まじくなり、それを彩るオケも鬼気迫っていたように感じたのは私だけではなかったと思います。会場全体の空気は最後まで張りつめたままで、熱気がどんどん高まって行き、ギエムが円卓の上で力強く手を伸ばしたかと思ったら、次の瞬間、周りからかぶさってくる沢山の手の中に消え、同時に音楽が最高潮のところでぴたっとと止み、舞台は暗転。

何もかもが一瞬で終わった、まさにその「瞬間」にギエムは遂に踊りをやめ、観客にさようならを残し、2015年は終わりを告げ、そして2016年を迎えました、、、、、圧巻。

 

私の2016年は、凄まじい熱気、高揚、最高の感動、涙と鳥肌とブラボーで始まりました。

この気持ちのまま、2016年を駆け抜け、今年もまたオペラをはじめとする舞台芸術鑑賞に勤しみたいと思っている次第です。

 

さて、この模様は生中継されており、私も年が明けて落ち着いてから録画していたこの番組を見直しましたが、この放送を見てびっくりしたことが2つありました。

 

まず、2015年から2016年に変わる瞬間にぴったりとボレロの演奏が終わっていたこと。

演奏とカウントダウンのタイミングを合わせるのはとても困難で、過去には結構なタイミングのずれのあった回もありましたが、とりわけボレロは、音楽が最高潮のところで終わるため難しく、ギエムの有終の瞬間であったことを考えると、このタイミングは本当に凄いことだったと思います!ブラボー、マエストロ!

 

踊り終わった直後に流れたギエムの最後のメッセージは、今思い出しても、そしてこれを書きながらでもまた泣けてきてしまいます。

「さようならは決して簡単なことではありません。どのように言っていいかもわからないし、本当は言いたくもありません。

でも私は踊ることが大好きです。ですから踊りを皆様のために、このさようならに!!!

あぁ、涙、涙、涙。

 

2つ目は、鳴り止まないカーテンコールとスタンディングオベーションの観客の中に、おもちゃのチンパンジーの100万倍くらいの速さで必死に手を叩いている私が画面の中にいたこと。

間違いなく感動の最高潮に達していたその瞬間なのですが、客観的に見てなんとブ〇〇クなことかと、、、、、おかげさまで私以外、家族全員揃の初笑いの種となりました。

納得行かない点もありますが、先ずは周りに笑顔をもたらしたということで、これもまたいいスタートを切れたと自分自身を納得させております。

「劇場に行こう」 ~ 白鳥の湖 ~ (2015年2月12日木曜日)

男性の皆様、自分の奥様を両腕で頭上に抱え上げて何分間直立し続けることが出来ますか?(、、、、そもそも抱えあげられますか?)

女性の皆様、片方のつま先だけで立って、足を上げて何分間バランスをとっていられますか?

 

先週土曜日、インフルエンザでダウンした小さな可愛いお嬢さんに代わり、くたびれたおばさんの私がピンチヒッターで松山バレエの「白鳥の湖」鑑賞に行ってまいりました。

 

松山バレエと言えば、森下洋子、清水哲太郎ご夫妻のペアがあまりにも有名ですが、2人揃って御齢65歳。

なんと、合計すれば130歳のこのお二人、未だに現役でバレエを踊っているのです。

 

白鳥の湖」は誰もがよく知っている作品で、だからこそテクニックも表現力も最高が求められます。少しでもつまらないとあっという間に眠りに落ちてしまう難しい作品なので、これを65歳のペアがどう踊るのか楽しみである反面、本当にこの方々の踊りで観客を満足させられるのだろうか(失礼!!)等々、複雑な気持ちも多少ありつつ会場へ向かいました。

 

結果から言うと、、、、、満足でした。

 

前述の通り、本作品は高度な技術と表現力が要求されるバレエなのですが、そこは「新版」と銘打って、踊りの変更だけでなく曲順も入替え、演出もどかーーーんと変更したなかなか斬新な「新版・白鳥の湖」でした。

これは森下・清水ペアだからこそ許された演出であって、他のダンサーには絶対に許されないだろうな、、、と。

最大の見せ場である32回転のグラン・フェッテ・アン・トゥールナンもなく、オデット、オディールの他の見せ場も若いダンサー達のヴァリエーションやコーダにとって代わったりと、やや不思議演出で残念な箇所もありましたが、一般的には、65歳の方が16歳と21歳を演じる機会は、(宴会以外では)非常に少ないと思われるので、多少の違和感はあれど遠目にはそう大きな問題もありませんでしたし、何よりチュチュや白タイツをまだ着られる勇気と体型を維持できているということは本当に驚きでした。

 

ただそんなことを言ってはおりますが、技術の衰えを丁寧且つ正確な踊りでカバーしており、まるでレッスンVTRを観ているような安心感、安定感があり、二幕のオデットとジークフリート王子のアダージオは美しく、お二方が長年かけて培った、そして今も尚キープし続けているしっかりした技術をこの目にしっかりと焼き付ける事が出来、いつもとは違う感慨深さを味わうことが出来ました。

そのアダージオの間は会場のあちこちから鼻をすする音が聞こえてきましたし、未だに衰えないダンスへの執念と愛情、それを見守る観客の皆様の温かさを感じた舞台でもありました。

 

ダンサーは、若く技術もあり美しい頃には表現力が足りず、ようやく表現が出来るようになった頃には技術も美しさも下降線を辿り始めると言われます。

また、ダンサーの引き際も難しく、かつて森下さんがパートナーをつとめた伝説のダンサー、ヌレエフも最後の方は老体が痛々しく、引き際の難しさを痛感したものでした。

しかし一方で、定年後(パリ・オペラ座には42歳での定年制度があります)のマニュエル・ルグリの踊りはいまだノーブルで美しいですし、間もなく42歳になる熊川哲也氏も未だバリバリの現役で観客をぐいぐい引き込みます。

数年前に観た往年の名バレリーナ、マイヤ・プリセツカヤの80歳での「アヴェ・マリア」は大変に素晴らしく会場全体が感動に包まれたことを思い出しました。

色々思うと一概に語ることは出来ず、バレエだけでなく全てにおいて引際とは何なのか、いつなのかということを決めるのは難しいものだと改めて思いました。

 

いずれにせよ、あれだけコアのしっかりしたグランド・ピルエット・ア・ラ・スゴンドには驚きましたし、トゥで立ってアラベスクのポーズで支えなくバランスをとる姿を観て、あぁ、身体を動かすなんて億劫だわ、なんて言っている場合じゃないと思った次第です。

 

この貴重な舞台鑑賞の機会を与えて頂いたことに感謝するとともに、インフルエンザでダウンしたお嬢様の1日も早い回復をお祈りします。

 

「劇場に行こう」 ~ ローマ歌劇場 「シモン・ボッカネグラ」 ~(2014年6月12日 木曜日)

前回のコラムで、ウキウキしながら予習をしていると書かせて頂いた、ローマ歌劇場の来日オペラ公演、「シモン・ボッカネグラ」と「ナブッコ」を

5月末から6月にかけての週に鑑賞してまいりました。指揮は“帝王”という呼称が相応しいリッカルド・ムーティです。

 

毎回、偏愛的オペラ話ばかりですので皆様もそろそろ辟易なさっているのではないかと思い、

今回は「行きますよ」ということにだけ触れて感想は書くまい、と思っておりました。

しかしながら、ちっとも奥床しくないため、自分の胸だけに留めておけない、誰かに言わずにはおれない、といういつものパターンです。

 

ということで、有無を言わさず先ずは「シモン・ボッカネグラ」。

 

シモン・ボッカネグラは海賊から民衆に後押しされてジェノヴァ総督の地位に就いた、14世紀に実在した人物です。

有力貴族が派閥に分かれて対立していたその頃、同じ国の者同士が争っていたことに胸を痛め、

最後まで平和を願い続けた慈愛に満ちた素晴らしい人物として描かれています。

妻(娘)をめぐっての義父との確執、生き別れた娘との偶然の再会、陰謀、闘争、策略、裏切り、そしてついには義父との和解。

しかし、全てが終焉を迎える頃には時既に遅く、娘が愛する人と結婚したのを見届け、義父に娘を頼み、

婿に総督の座を譲ることを民衆に宣言し、策略により毒を盛られたボッカネグラは息絶えてゆく、、、と、ざっくりこんな話です。

 

音楽も良いし、あらすじもしみじみと感動的なのですが、何より指揮者、オーケストラ、歌手たちが

楽器に、旋律にのせてそれらをしっかり表現し、各々の熱量が伝わる大変素晴らしい舞台でした。

まずはムーティーありきでこの舞台を鑑賞することを決めましたが、キャストを揃えるのが難しいためなかなか上演されない演目でもあったので、

何としてでも観ないと!と鼻息荒く臨んだ甲斐があり大満足です。

 

直前の7日間の通しのリハーサルに体調不良で参加しなかったという理由で、世界超一流の歌姫を惜しげもなく降板させたムーティ御大ですが、

彼女の降板をちっとも残念に思わなかったほどの出来栄え。ローマのオケがこれほどのレベルだったのにも驚きました。

派手な歌手はいなくとも底力の備わった歌手陣を揃えており、最もブラボーが飛んだテノールのフランチェスコ・メーリはもちろんのこと、

個人的にはタイトル・ロールを歌ったジョルジョ・ペテアンの慈愛溢れる歌唱と演技力に白旗脱帽でした。

 

ただ、やはりムーティの存在感の大きさは何者にも比しがたい!彼がピットに入るだけで会場の空気が一変してしまいます。

タクトを上げて振下ろしたその一音ですぐさま完敗でした。全体を引っ張る力強さはものすごく、会場全体がどんどん高揚していくのを感じることが出来ました。

 

若い頃のムーティはとにかくエネルギーを放出しまくっている感じで、ライブ録音盤のスカラ座「椿姫」なんて音が走りまくっていてものすごく忙しい。

今のムーティーはどこか達観しているかのような素振りを見せながらも、おおっ!とかさすが!とか思ってしまうような演奏が随所にあり、

「帝王」だとか「巨匠」とかいう呼称は伊達ではないことを、当たり前ではありますが再認識した次第です。

 

ローマ歌劇場ミラノ・スカラ座に及ばないとされますが、ムーティの熱がすごく、オケがそれに応えるべく負けじとついていく、そして歌手たちも追随。

そうなったら観客もついていかないわけにはいかないではないですか!?

 

よって、すべてが期待を超えることとなったわけで、数年前に観たスカラ座より断然良かった!

中にはムーティの指揮はもういつ見られなくなってもおかしくないから、後悔しないように行くのだ、というファンも数多くいらっしゃったようですが、

またいつかムーティの指揮するオケをライブで聴ける、見られる日が来ますように、と願うばかりです。

 

さて、ラストもラスト、一番最後のオケの音がフェイドアウトしていくところで、待ちきれない何人かがフライングして拍手。

途端にあちこちから 『シーーーーーーーーーッッッッッッッ!!!!!!!』 (これをやられると恥ずかしい)

 

、、、、、、やがてムーティーのタクトを持つ右手が静かに下がり、宙に留まるのが制した左手だけになった時、時空間が止まったような静寂が訪れ、

ムーティがその左手を静かにおろした5秒後、割れんばかりの拍手とブラボーが起こりました(鳥肌)。

 

うわーん、素晴らしい。

 

翌日になっても翌々日になってもアドレナリンの放出が収まらない私。

そして、これを書きながらまた更にアドレナリンの放出が始まった私は、もう誰に何を言われようが、次回「ナブッコ」感想を書く決心をしたのでした。

 

そんなわけで、もう少しご辛抱してお付合い頂けますと幸甚です。

 

「劇場に行こう」(2014年5月15日 木曜日)

新緑の香りがすがすがしい季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

気持ちの良い日々が続きますので、1年ほどお休みしていたジョギング&ウォーキングを最近になって再開致しました。

数か月前に購入したワイヤレス(Bluetooth)イヤホンが走る時も邪魔にならず期待以上に便利なので

劇場モードの大音量で、オペラを中心にクラシック音楽を聴きながら、風を切って颯爽と皇居の周りを走る今日この頃です。

(少し嘘をつきました。本当はノロノロ、ドタドタ、息も絶え絶えに走っています。)

 

近頃は走る速さに応じてちょうどいい曲を選曲してくれるアプリや、

速度に合わせて再生スピードを変える音楽再生プレイヤーがあるそうですが、今のところ私には必要なし。

 

曲のテンポに全く惑わされぬマイペースな私のリズム感が功を奏しているらしく、

思わず行進したくなるようなテンポのいい曲であっても、ゆっくりねっとりした曲であっても、

どんなテンポの曲を聴きながらでも一切流されることなく、一定の走るリズムをキープ出来ており、

カラオケや踊りでは発揮出来ず、長い間埋もれていたこの能力が今こうして役に立っております。

 

 

また、普段家で音楽を聴くときはどうしても「流し聴き」になってしまい、「聴きこみ」が出来ずにいるのですが、

ジョギング&ウォーキング中は音楽を集中して聴くことが出来るので、私にとっては運動と聴きこみとを兼ねた一石二鳥の良い機会というのも新発見でした。

特にオペラの公演鑑賞前などは、かなり真剣に音楽を聴くことが出来るので予習もばっちり。

今は、数週間後に鑑賞を控えているヴェルディの次の2作品を集中して聴きこんでいるところです。

 

ひとつは彼の出世作とされ、第2のイタリア国家ともいわれる合唱、『行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って』があまりにも有名な「ナブッコ」。

オペラの会場に行くと必ず出くわすのが、「“どじょっこだーの、ナブッコだーの”ってついつい歌いそうになっちゃう。」と話している光景。

“オペラあるある”というより“ナブッコあるある”です。

季節的には春になって氷(しが)こも解けた頃合いではありますけれども、「ナブッコ」というのはどじょっことセットではなく、バビロニアの王、ネブカドネザル二世のことです。

 

2つ目は、バス、バリトン歌手に重要な役柄を与えた彼の作品の中でも、全編が男性の低音の魅力に満ち溢れている「シモン・ボッカネグラ」。

14世紀のジェノヴァを舞台にしたこの作品、2010年のバレンボイムが指揮するミラノ・スカラ座の舞台が素晴らしく、

テレビという小さな画面での鑑賞ながら、70歳のドミンゴの素晴らしさに感服、大変印象的でしたが

今回、帝王と呼ばれるムーティーが昨シーズンにご当地ローマで好評を博したこの作品を

日本で再演することにより、今度は全体をどう仕上げていくのか楽しみで仕方ありません。

 

さて、この2公演の鑑賞が終わったらオペラ鑑賞はしばらくお休みとなります(本当かな?)。

梅雨に入るとジョギングもお休みになりますから、次回は私のコラムも一旦お休み、、、、。

いえいえ、6月からはバレエの世界に浸りますので、皆様引続きどうぞ宜しくお願い致します。

 

「劇場に行こう」 ~ 憧れのワーグナー ~(2014年4月17日 木曜日)

何かオペラネタないかしら?と探してみましたがなかなか見つからず。

もしNY在住の私のオペラ師匠に聞いてみたとしたら、きっと

「あなた、何を仰ってるの?オペラはネタの宝庫よ!」と怒られることでしょう。

 

色々引っ張り出してみていたら面白いものが見つかりました。

 

2007年は私の本格的なワーグナー・デビューの年です。

皆様は「ワグネリアン」という言葉をご存知でしょうか?ワーグナーが好きすぎて好きすぎてたまらない人達のことをこう呼ぶのですが、オペラい興味を持ち始めたその当時、この「ワグネリアン」という言葉とその強烈な存在感(とワーグナーへの偏愛っぷり)に畏敬の念を感じていた私は、ワーグナー・オペラはあまりに敷居が高すぎて、観に行くのはまだまだ先の話だと思っていました。

 

ところが、その年にあったのがベルリン国立歌劇場の来日公演、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」。

10年早い、と憧れはあれど行くことは考えていない私に師匠から1通のメールが届いたのです。

 

「ベルリンのトリスタン、これはなかなか強力な布陣。(中略)私が日本にいたら、このトリスタンは絶対観に行ってます。」

 

うーん、、、、、、、、、、では!!! 行かせていただきましょう!!!!!!!!!!

 

それまで全幕を通しで聴いたことのないトリスタンでしたが、師匠イチオシのフルトヴェングラー指揮の名盤をすぐさま購入。

その日からとにかく聴き続け、4枚組なので結局は公演までに3回しか聴けませんでしたが、限られた時間の中で先ずは猛予習。

 

鑑賞を翌日に控えたその夜、私は師匠にこんなメールを送っていました。

 

「明日はいよいよワーグナー・デビュー。まさかこの日がこんなにも早くこようとは、、、なんという生意気な私。

年季の入ったワグネリアン達に負けないよう、明日は鼻息も荒くNHKホールに乗り込んでやります。

ホールまで続くあの長い道をどすこい!どすこいどすこいどすこい!と四股を踏みながら力強く進んで行くつもりですが、扉を抜けたらそこはもうワグネリアン達が集うめくるめく世界だなんてとても楽しみです。感想を待っててね。」

 

ものすごいワクワクっぷりですね(恥)。

 

公演当日、私はワーグナーに魂を鷲掴みにされてしまったのですが、幕間に集う年季の入ったワグネリアンのおじさま達の素敵っぷりにもイチコロでした。

 

人生初のワーグナーは指揮、オケ、歌手、全てが期待を上回り、世界最高レベルの舞台で大満足だったのですが、この舞台が私のワーグナーのデフォルトとなったわけで、つまり師匠に言わせるとワーグナーに関して大変高いハードルを設定してしまい、今後生半可なワーグナーでは恐らく満足出来ないであろうということにもなってしまったわけです。

その公演は、指揮が世界に名だたるダニエル・バレンボイム、キャストに現代最高のバスと言われるルネ・パペ、ワーグナー歌いの名手ワルトラウト・マイヤー、クリスティアン・フランツ、そして若手ホープ(当時)のミシェル・デ・ヤング等々、、、、。今から思うと初めてのワーグナーでこんなの観ちゃったとはやはり贅沢。何という幸せ。ブラボー、ベルリン・シュターツカペレ。

 

さて、ワーグナーに身も心も持って行かれてしまった公演終了後の私はすっかり抜け殻となってしまい、夜風に吹かれてよろめきながら何とか自宅に帰り着いたのですが、抜け殻ながらアドレナリン放出はおさまらず、演奏の出だしからこと細かく描写しつつ、全幕分の感想を詳細にしたためて師匠に送りつけたのでした。

 

「あなたがこんなに喜んでくれて本当に良かったわ。私も嬉しいです。お勧めした甲斐がありました。」

 

自分が送りつけた文章を読み返すと本当に長い!よくぞここまで、というくらい描写が細かくて、どれだけ感激したかがいやでも伝わってきます。熱い文章であると同時に初々しくて、その当時の興奮が蘇ってきました。

最後の部分を少しだけ抜粋させて頂きますと、

 

「何人もの人が弾く弦がたった1本の音にしか聞こえないなんて凄すぎます。音がどんどん細くなっていくのですが、消える直前のかすかな音まで聴こうと、あの瞬間は会場の皆が息をしていないのではないかと思うほどの静寂と緊張感に満ち満ちていました。バレンボイムの指揮棒が止まった瞬間、誰かの悲鳴のような「ブラーボ!」がひときわ甲高く響き、後は拍手拍手拍手拍手拍手拍手、割れんばかりの拍手とブラボーの嵐。私は音楽が止まった瞬間、どうにもこうにも感極まってしまいました。5時間、眠くなることもなく、お尻が痛くなることもなく、ただただこの空間にいられたことを心から感謝。おススメして下さったあなたにも死ぬほど感謝しています。こうして長い文章を書きつつ興奮がおさまらないので、3日後の最終日の公演、チケットは売切だそうですが、何とかあの手この手を使って行くことに決めました。」

 

いや~、熱い!そして初々しいけどかなりうざいですね、私。

 

最終日は当日券販売の窓口は閉まって「満員御礼」の看板のみ。その場でへなへなと崩れ落ちそうになった私に近付いてきた男性がおりました。

台湾からはるばるこの公演のためにツアーを組んでやってきたものの、1人分のチケットが余ってしまったということで幸運にもチケットをお譲り頂けたのです。

幕間は台湾版ワグネリアン達7人のお仲間にも入れて頂くことが出来、今となっては本当に素敵な初ワーグナーの思い出です。

 

さて、あまりにも懐かしすぎて、今回も大暴走。

朝から長ーい文章にお付合い頂き有難うございました。

 

本当はワグネリアンの話を書きたかったのですが、自分の初ワーグナー話になってしまいました。チャンチャン♪

「劇場に行こう」 ~オリンピック開会式編~ (2014年3月20日 木曜日)

既に話題は移り変わっていますが、皆さんはソチ五輪の開会式をご覧になりましたか?(古い話題でスミマセン。)

 

私はセレモニーで歌うディーヴァ、アンナ・ネトレプコAnna Netrebko)に釘付けでした。

彼女はロシア出身の世界的なソプラノ歌手で、歌も演技力もずば抜けており、彼女が演じた英国ロイヤルオペラの「マノン」、ヴィオレッタ@「椿姫」には泣かされました。

 

前回、美貌と実力を兼ね備えた歌手はそう多くないと書きましたが、彼女は美貌と実力を兼備えた数少ない歌手の一人。

出産を経て近頃は肝っ玉母さん体型になってしまい、そのおかげかますます声に張りが出て、実力↑と美貌↓というベクトルだったのですが、さすがに五輪という大舞台だからなのか、テレビの中の彼女は実力はそのままで “あの頃の彼女” に戻っており、どこまで巨大化していくのだろうかと心配していたところだったので、まずはほっとしました。

 

他にもマリインスキー、ボリショイといった世界の名門バレエ・カンパニーダンサーたちが踊りを披露したようで、まさに私のためのソチ五輪開会式だったようです。

 

閉会式でも次の開催地韓国からソプラノ歌手のスミ・ジョーが登場したという話を聞きましたが、オリンピックという華やかな舞台にオペラ歌手が登場する機会って昔からあるのでしょうか?

あまりにも大昔のことはさすがに調べてみないとわかりませんが、私が見て聞いて覚え知っているものをあげてみます。

 

2006年のトリノ五輪ルチアーノ・パヴァロッティが、「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』を歌ったのは皆さんの記憶にもまだ新しいのではないでしょうか?荒川静香さんが金メダルを取ったフィギュアの音楽に使われたプッチーニの名曲です。

当時パヴァロッティはピークを過ぎてかなり衰えていたとはいえ、それでも艶のある声、彼の十八番のハイCは天性のものだと思いました。

(*「ハイC」とは普通の人が額と首筋に青筋を何本も立ててもなかなか出ないものすごく高い音。無理して出すと血圧上昇は間違いなし、下手したら、、、、、!?な音。)

しかし、その頃既に弱っていたパヴァロッティが生歌を披露するのは無理だったようで、1週間前に録音した音源を使用しての口パクだったということが判明し、その後物議を醸しだしました。結局はそんなオチがついたトリノの開会式がパヴァロッティの生前最後のステージとなってしまい、今となっては少し複雑な気持ちです。

 

少し前のバルセロナ(1992年)はかなり豪華で、スペイン出身の世界的オペラ歌手が勢揃い。

プラシド・ドミンゴアグネス・バルツァモンセラート・カバリエアルフレード・クラウス、ホセ・カレーラス、更には、テレサ・ベルガンサ、ファン・ポンス、ジャコモ・アラガル、、、、、、、うわぁ、あぁぁぁぁぁ、書いているだけで鳥肌ものの世界最高レベルの名歌手たちです(はぁはぁ、はぁはぁ、、、、、←大興奮)!!!

そこで歌われた「バルセロナ」という曲はオペラ歌手モンセラート・カバリエとクィーンのフレディ・マーキュリーがデュエットした名曲で、まさに“ザ・「ロックとオペラの融合」”ですが、フレディはバルセロナ五輪の前年にHIV感染症で亡くなってしまい、五輪開会式では三大テノールの一人ホセ・カレーラスがフレディの代役を務めました。

フレディはオペラとバレエが大好きで、中でもカバリエの大ファンだったことから交流が始まり、一緒にアルバムを作ることになったのですが、この「バルセロナ」は二人の出会いを歌っています。二人が公の場でこの「バルセロナ」を歌うことはとうとうかなわなかったのが本当に残念でたまりません。

 

クィーンが大好きな私は当時はオペラにもバレエにも全く興味なかったのですが、フレディへの追悼が感じられる五輪での「バルセロナ」にただただ感涙しておりました。

その後何年かして、私もオペラとバレエにはまってしまうとは。

今となっては時すでに遅しですが、バルセロナオリンピック開会式はやはり録画しておきたかったです。

 

他にも、バンクーバー(2010年)ではミーシャ・ブルガーゴズマンが、トリノではパヴァロッティの他にもアンドレア・ボチェッリ、と、私が知らないだけで、探せばもっとあるのではないかと思います。

 

最近は「東京五輪で歌ってほしい歌手」という投票がネットのあちこちでも起こっており、中にはアイドル歌手に歌わせずオペラ歌手に!なんて声もあるようですが、得意でないもの持ってきて無理やり張り合おうとするよりも、個人的には日本独特の文化、、、、いっそのことゴリゴリのアニソン(= アニメの音楽)や演歌、民謡で押すのもアリではないかと思う昨今です。

 

「劇場に行こう」(2014年2月20日 木曜日)

私のようにオペラもバレエも両方好き、という人はあまり多くなくて、コアに鑑賞すればするほど、

オペラかバレエ、どちらかしか観ない、となっていくのは気のせいではないと思っています。

皆様の周りではいかがでしょうか?

 

オペラしか見ない友人、バレエしか見ない友人になぜなのかその理由を聞いてみたところ、

返ってくる応えが見事に全部同じで、簡単に言ってしまうと、

バレエを好きな人はヴィジュアル重視で、オペラを好きな人は音楽重視なのだそうです。

 

私のバレエの先生(男性)が、「ダンサーは洋服の似合う身体を作ることが出来る。」

と常々話しておりますが、まさにその通りで、舞台の上のコスチュームも素敵ですが、

普段着で歩くダンサーの方々は、姿勢も良いしスタイルもいい。

プロフェッショナルとして舞台に立つ方々は美男美女揃いです。

実際、モデルとして活躍しているダンサー達も沢山おり、このような方々が舞台で華やかに踊るのですから、

舞台に釘付けです。

 

あぁ、天は限られた方にのみ一物も二物も与えておしまいになるので、

どおりでこちらには何も回ってこないはずです(プンスカ!)。

 

しかし、確かにオーケストラは二軍。

観客の目が舞台に行くので、音楽はBGMにしかすぎないと思われているのか、

超一流のオーケストラ一軍が演奏をするバレエの舞台に出会うことは稀です。

 

なので、バレエ鑑賞に行くと、結構な確率で、大切な場面に金管が「プヒー」とか「ピッファー」とかいう音を出し、

感動の涙もひっこんでしまうくらいずっこけてしまいます。

イラッとしつつも、踊りの美しさを目で追うことに没頭し、いつの間にか「プヒー」を水に流してしまうのです。

 

一方で、聞くところによると、オーケストラの団員の大半はオペラの演奏をすることを希望しているのだそうですが、

夢の舞台で演奏しているだけあって、オーケストラの熱気がすごいはもちろんのこと、

マイクを使わずオケに負けない声を出す、肉体が楽器と言われるオペラ歌手が

その熱気高いオーケストラと対峙しているのですから、それはそれは素晴らしい!

最高の指揮者が率いる一流オケ、一流歌手、ここに観客の熱がのったオペラの舞台はまさに「神」の舞台となります。

 

但し、ヴィジュアルはバレエと比べてはいけません。

近頃はスマートで美形のオペラ歌手が増えてきたとは言え、あくまでも「オペラ歌手の中では」というレベルであって、

大半の「美しい」とか「ハンサム」とか言われる歌手は声量が足りなかったり、技術が追いつかなかったり、

技術が伸びた、声に張りが出た、と思ったら、いつの間にか恰幅が良くなっていて、

「あの頃の彼」、「かつての彼女」、とは一線を画した姿にショックを受けることも少なくありません。

 

限られたものしかお与えにならなかった天の公平さにここでようやく安心できるのです。

 

歌手としては一流だけど、丸々とした血色いい男女の歌手が「貧乏で明日の生活をも知れぬ」とか、

「ああ、私の命は尽きてしまう!」とか歌ったりするのに抵抗のある方もいらっしゃるでしょうが、

舞台に集中してしまうとあばたもえくぼ。姿かたちなんて一切気にならず、ただただ感動するばかり。

 

姿形、その動きの美しさに見とれて金管のプヒーを許してしまうバレエ、

オーケストラ、歌声、指揮、音楽の全てに圧倒され、ヴィジュアルなんて到底気にならないオペラ、

 

やっぱり私は両方好きで、どちらかに絞れといわれてもそれは無理。

 

ということで、今年もフットワーク、財布の中身共々軽く、バレエ・オペラ鑑賞両方に励みたいと思います。

「劇場に行こう ②」(2013年11月27日 水曜日)

おはようございます。

 

本日は勝手にシリーズ化した「劇場へ行こう」の2回目です。

 

かつて劇場は上流階級の紳士ご婦人方の社交場でした。その名残としてか、欧米の劇場では

今でもシーズン初日は特別な日となっており、各界の著名人が集う華やかな場となっております。

 

NYに住むオペラヘッドの友人のMET初日の気合の入れ方は相当で、数か月前から着て行くドレス選びを始め、

当日は、ビューティーサロンを予約し、頭の先から足の爪の先までパーフェクトにドレスアップするそうです。

 

その彼女、あるシーズンは米国人好みに頭をこんもりと大きく盛られて3倍くらいの大きさになり、

メイクの濃さは尋常ではなく、まるでドラァグクイーン(涙)、と報告してきました。

 

さて、残念ながら日本では、そのような場は非常に限られておりますが、

普通に劇場に行くだけでも雰囲気が華やかで、非日常を楽しむことが出来ます。

 

たった一度だけ着物で行ったことがあるのですが、幕間に『着物姿+片手にシャンパン+オペラ談義』なんて

きっと粋だろう、さぞかし格好いいだろう、と自己満足を目指したのも束の間、

帯で背もたれに寄り掛かれず、2回の幕間を挟んで約4時間、背中真っ直ぐ、大変良い姿勢での鑑賞。

上半身直立で座高が増すため後ろの方にも嫌がられましたし、いきり過ぎてシャンパングラスを持つ小指が

いつの間にか立ってましたし、劇場で会った年上のオペラ友から「ママ」と呼ばれるし、

やはり慣れないことはするものではないと思ってしまいました。

 

けれど、普段ドレスアップなどする機会がほぼ皆無ですので、

堂々と非日常の格好が出来るオペラ鑑賞の場は、結果がどう転んだとしても、案外楽しいものです。

 

願わくば、いつか欧米の一流オペラハウスのオープニングに行き、

ドラァグクイーンにされても、どうなっても構わないから、

ガッチガチに気合を入れた格好での鑑賞を経験してみたいものです。

 

あ、、、、、でも、これだと「劇場に行こう」とお誘いしても誰も一緒に来てくれないかもしれないですね。

 

「劇場に行こう ①」(2013年10月18日 金曜日)

 

おはようございます。

 

少し前の話になりますが、前々回書かせて頂いた生の舞台「椿姫」 vs 超一流歌手による中継録画「ドン・カルロ

勝敗の勝敗はもちろん生の舞台の「椿姫」。

「やはり、舞台は生で観てこそ。」という気持ちを更に強くした次第です。

 

さて、私が好きなオペラの演目のひとつに「蝶々婦人(Madame Butterfly)」という作品があります。

プッチーニ作曲のオペラですが、ご覧になったことはなくとも、「蝶々婦人」というタイトルを耳にしたことはあるのではないでしょうか?

イタリアのオペラですが、舞台は日本。「君が代」や「さくらさくら」、などが要所に盛り込まれていたり、

アメリカ国家がオペラ音楽の中で実に効果的に使用されていたり、今改めて思いましたが、何だかとてもインターナショナルです。

 

せっかくですから、あらすじを少しだけ、、、、。

 

舞台は長崎。米海軍士官のピンカートンは日本で15歳の蝶々さんと結婚しますが、やがて米国に帰ってしまいます。

当然、その後に息子が誕生しているということすら知らないままです。

彼が帰って数年、その間縁談を持ってこられようが、男が言い寄ってこようが、全てを袖にし、

ひたすら彼の帰りを待ち続ける蝶々さんの元に、ピンカートン所属の部隊の軍艦が入港するとの知らせがやってきます。

 

蝶々さんは嬉しくて嬉しくて外に飛び出し、岸壁から港を見下ろして歌います。

これが大変有名なアリア「ある晴れた日に」です。

 

“ある晴れた日、海の彼方にひとすじの煙が立上がり、やがて船が見える。

真っ白な船が港に入ると礼砲が鳴り響くの。

ごらんなさい、 あの人が来たのよ!

でも迎えには行かない、行かないの。

近くの岬へ出て そこであの人を待つわ。どんな長い時間だとしても、いつまでも待つわ。

すると、港町の群衆から抜けだし、小さな点のように見える1人の人が山を登って向かってくるのが見える。

誰? 誰なんでしょう?

到着したら何て言うのかしら? 何て言うのかしら?

遠くから「蝶々さん」と呼ぶのよ。

でも、私は返事しないで隠れているわ。・

それはちょっとした悪戯でもあるのだけれど、

何より、もう一度会えた嬉しさのあまり死んじゃうかもしれないから。

そしたらあの人は少し心配になって、こう呼ぶの。

『僕のかわいい奥さん オレンジの花』って、、、。

この名前はね、あの人が私に付けてくれたの。

 

(スズキに向かって) *注: スズキというのは女中の名前

この通りになるわ、誓ってもいい。

あなたは心配していればいい。

私は絶対に信じてあの人を待っています。”

 

 

その先の展開がどうなるか既に知ってしまっている私には、会える嬉しさを歌うこのアリアはあまりにも悲し過ぎて、

この辺りで涙が滝のように流れてきます。

歌詞の行間や旋律の中に、その後を読み解く様々なヒントが隠されている奥深いアリアでもあります。

 

かつてM屋のCMで、三木のり平(のアニメ)扮する蝶々さんが、へんてこりんな日本髪のかつらと

鼻メガネでこの歌を歌っており、しばらくの間、私の中では「蝶々さん= M屋ののり平」でした。

おかげで「蝶々さん」をコメディーだと勘違いし、オペラを好きになってからも最初のうちは何だか笑ってしまいそうになっていました。

だけど、まさかこんなに素晴らしい作品だとは!! 私の馬鹿!馬鹿、馬鹿!!!!(両手の拳で頭をポカポカ!)

 

蝶々さんは、彼が自分の元に駆けつけてくれると信じて疑わず一晩中待ち続けますが、彼はやってきません。

「きっと忙しいんだわ。」なんて思いながら、一生懸命髪を整え、化粧をし、一番いい着物を着てただ、ただ待ち続けるのです。

 

翌日、ピンカートンは妻を同伴して蝶々さんの元を訪れますが、女中のスズキから昨夜の一連の出来事を聞き、

驚き、恥じ、反省するも、「自分の口から蝶々さんに話すことは出来ない。」と、耐えきれずにその場を後にします。

 

蝶々さんは、ピンカートンがようやく来てくれたと思い、溢れんばかりの喜びで障子を開けると、

そこには、ピンカートンの妻のケイトがいて、蝶々さんはそこで全てを悟り、絶望します。

そして、蝶々さんの子供を引き取って育てさせてくれという申し出に、更に絶望してしまうのです。

しかし、蝶々さんは気丈に、彼が直々に子供を迎えに来てくれるのなら子供を渡しましょう、と伝えるのです。

 

蝶々さんが仏間で父の形見の短刀を取出すと、何かを察したのでしょうか?

無邪気な幼子が蝶々さんの膝元に駆け寄ります。

蝶々さんは我が子をしっかり抱きしめて別れを告げ、「遊んでおいで。」と子供を部屋の外に出します。

やがてピンカートンが到着しますが、時は既に遅く、蝶々さんは自害を遂げた後でした、、、。

 

全幕を通し音楽が大変素晴らしいのですが、最終幕は「これでもか!」というくらい、ドラマティックな音楽の連続で、

この辺りは、涙と鼻水の大大大洪水。ずるずる鼻をすすったら周りにご迷惑と思い、垂れ流しのままです。

涙をこらえて口はワナワナ、鼻はヒクヒク、涙と鼻水ダラダラ、、、この時の私、最高に不細工です。

 

そう言えばいつだったっけか、、、、隣の席のおじ様も、大きなタオルで口を押え、「あぁうぅぅ、、、」と嗚咽していらっしゃいました。

 

この蝶々さんの唯一の難点が、海外プロダクションに「日本勘違い」的演出が多いこと。

どんなにオーケストラや歌手が良くても、私は日本を勘違いした演出は許しません。

海外オペラハウスの「蝶々さん」には今まで何度腹を立てたことか、、、実際、鼻から炎を出しそうになったことが何度もあります。

「蝶々婦人」だけは、総合点で、日本のカンパニーのプロダクションが格段に良いと信じております。

 

さて、なぜこんな話をしたかというと、

そんな鼻息荒い私が、皆様に自信を持ってお薦めしたいのが、来年1月に、新国立劇場で上演される「蝶々婦人」。

21,000円のS席まで用意されていますが、D席は3,150円。少し頑張ったC席で6,300円。

オペラグラス必須の席になりますが、それでも新国立劇場はまだ観やすいと思います。

オペラは敷居が高いと思っていらっしゃる方にも良心的な価格設定、且つ素晴らしいプロダクションですので、

オペラ・デビューを考えてはいるけれど、躊躇して、今一歩足を踏み出させない方々の背中を押すべく、

本日は長々と「蝶々婦人」のお話をさせていただきました。

 

オペラは生の舞台が一番。さぁ、劇場に行きましょう!

「国立霞ヶ丘競技場」(2013年9月27日 金曜日)

おはようございます。

 

今回は趣向を変え、オペラ・バレエの四方山話はお休みです。

 

先日、2020年の夏季オリンピック開催地に東京が選ばれました。

少し前までは大して興味もなかったのに、実際決まってみると本当に嬉しく、

発表の瞬間は、テレビの前で思わずガッツポーズ。

 

それに伴い、1964年の東京大会でも開会式が行われた国立霞ヶ丘競技場

本格的に改築に入ることとなっているのを、皆様、ご存知でしょうか?

2011年に公告された日本スポーツ振興センターの計画によりますと、

現在の競技場の解体工事から新しい国立競技場の竣工まで、約5年を要するということです。

2020年開催の五輪はもちろんのこと、一足早い2019年に日本での開催が予定されている

ラグビーワールドカップも新競技場が戦いの舞台になるということから、

2019年3月の完成を目指して、いよいよ来年の夏から本格工事に入ることとなっているのだそうです。

 

国立競技場では「ラスト・ラン」と称するマラソン大会など、各種イベントが予定されていますが、

そんな中、私は先日、某グループが行った現国立競技場での最後のコンサートに参戦してまいりました。

 

国立競技場では天然芝の保護のため、2005年以降は年間を通してたった1組のみが

競技場でコンサートを行うことを許可されているのですが、

そのコンサート開催も、とうとうこの夏に行われたものが最後となりました。

 

収容人数が7万人。

ある年は巨大なスタジアムの最後列でした。大きなお鉢(スタジアム)の縁の端っこ辺りで、こぼれ落ちそうになりながら(嘘です)

豆粒大のちっちゃな人たちを見ながらのコンサート。

開演がちょうど日暮れ時になるので、そんな雰囲気に良く合う音楽を聴きながら(ナイス選曲!)、遠くのビル群が夕焼けで少しずつ赤く染まっていく風景を見るのは何とも贅沢。

大量の花火がこれでもかというくらいに打ちあがるのをワクワクしながら見上げ、

放たれる何万個もの風船が空に舞い上がって、風に流されてどこかに消えてなくなるまで目で追いかけたり、

またある年は土砂降りの中、激しい雨に打たれて寒さに震えたり、、、、

野外ならではの演出を存分に楽しむことが出来ました。

 

しかし、今年、最も「国立」らしかったのはやはり聖火台を使った演出でした。

 

「2020 TOKYO」というメッセージが5つの輪と共に巨大なスクリーン映し出されると、

前方のステージから大きく火柱が上がって、花道へと続き、炎が真っ直ぐ聖火台へと駆け上がりました。

最後に聖火台から力強く火があがった瞬間、いよいよ東京オリンピックが開催されるのだという実感と共に、

毎夏の恒例行事になりつつあった、現競技場で過ごすこの楽しい時間も、今日が最後だという寂しさも沸きあがってきました。

 

新しい競技場は収容人数が8万人。

全天候型となるため、嵐でずぶぬれになることも、もしかしたらもう無いのかもしれません。

今の聖火台は何らかの形で保存されると信じていますが、新競技場への移設を希望する声も数多く上がっているようです。

 

これから、2020年までの7年間、変わっていくのは国立競技場だけではありません。

恐らく、街中の至る所が少しずつ変化していくのではないでしょうか?

 

私にとっては初めての地元オリンピックですから、今から本当にワクワクしています。

少しの変化も目にしっかり焼き付けたり、体感していきたいと思っています。

 

お疲れ様、現国立競技場。

 

2019年の新競技場の完成、そして2020年、新しく生まれ変わった国立競技場で行われる五輪開会式、

どんな演出になるのか今から楽しみにしたいと思います。

 

「日曜日」(2013年9月6日 金曜日)

おはようございます。

 

前回、「テンションの上がる曲」の中で、オペラ「ドン・カルロ」の有名な二重唱をご紹介させて頂きました。

 

さて、この「ドン・カルロ」はヴェルディの最高傑作とも言われている作品で、全編を通して、音楽がどれも素晴らしく、

「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」や「アイーダ」ほど上演回数は多くないものの、

大当たりのキャスト陣で観たときの感動は凄まじく、高揚したり、ヨヨヨ、、、と泣いたり、やるせない思いに溜息したり、と大忙し。

 

しかし、そうでない場合は、記憶にすら残らないどころか、記憶から無理矢理抹消させてしまうほど、

出来、不出来が極端な、難しい作品でもあります。

 

それぞれに高度な歌唱も要求されますが、キャスト陣を揃えることも大変困難とされており、

私が記憶する限り、日本で上演される舞台は殆どが海外オペラハウスによる来日公演で、回数も少なく、

よって、チケットは目玉が飛び出るくらいの価格となります。

 

あらすじはやや重たいのですが、男性陣、特にバス、バリトンの低音部隊の歌唱の見せどころが多く、

そういったところが元気の出る音楽(曲によってですが)になりうる要因なのかもしれません。

もちろん、女性陣が歌うパートも大変難しく、聴きどころが沢山あります。

 

さて、何を書きたかったかといいますと、

その「ドン・カルロ」全幕が今週日曜日の深夜にテレビで放映されることになっております。

 

オーストリアのザルツブルグで毎夏に開催されるザルツブルグ音楽祭で、

今年上演された演目のひとつが「ドン・カルロ」だったのですが、

さすがのザルツブルグ音楽祭、なかなかのキャストを揃えてきています。

 

特に男性陣は、実力と人気を兼ね備えている上にハンサム、という陣容できているものですから

これは何としてでも観なければ!!と、今から既に鼻息が荒くなっております。

番組表を見て、キャストを知った瞬間から、私の小鼻は最大限に膨らみっぱなしです。

 

日曜日は、午後からオペラ「椿姫」の鑑賞に行く予定なのですが、

私の脳ミソのキャパシティーの都合上、同日鑑賞の2作品両方を記憶に留めることは難しいので、

どちらかに軍配が上がることになるのでしょう。

 

両作品とも、オペラ界の巨匠ヴェルディが生み出した、有名且つ大人気の作品。

生の舞台@新国立劇場の「椿姫」か、

中継録画だけれど、憧れの聖地ザルツブルグでの「ドン・カルロ」なのか、

現役ソプラノ歌手の中で私が最も敬愛してやまないマリエッラ・デヴィーアが出演する「椿姫」か、

超一流のキャストを揃え、ハンサム勢揃いの「ドン・カルロ」なのか、

 

、、、、、一人静かに臨戦態勢に入っております。結果は如何に!?

 

 

「テンションをあげるために、、、!」(2013年8月16日 金曜日)

冒頭からいきなりですが、会社に向かう足取りが重たい日ってありませんか?

疲れが溜まってきている時もそうですし、仕事が思うように進まなかったり、心配事がある時などは、

足取りの重さもさることながら、気持ちがドヨーン、としてしまいます。

 

それでも、なんとか無理矢理にでも気持ちを上げていくために、音楽の力を借りることがあります。

 

最近、私は会社に向かう時、テンションをあげるために聴く曲、というのを集めてプレイリストを作っているのですが、

本日はその中からいくつかをご紹介させていただこうと思います。

 

まず、ヴェルディのオペラ「マクベス」より「Dove Siam?」(邦題不明)。

スコットランド将軍マクダフと、マクベスに殺されたダンカン前国王の遺児マルコムが、マクベスを倒すべく、イングランドの応援軍や亡命者たちと共に荒野で歌い上げます。

テノール2人が勇ましく歌う中に合唱が加わり、オケがそれを盛り上げ、元気の出る滋養強壮剤的な1曲です。

 

次に、これも同じくヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」より「我等の魂に友情と希望を」。

カルロと親友ロドリーゴが、スペインの圧政に苦しむフランドルの民を開放しようと立ち上り、

戦いへの決意と友情を誓い合う場面で朗々と歌い上げられる、テノールバリトンによる有名な二重唱で、生の舞台で観ると(聴くと)鳥肌ものです。

オペラ本編は、その後に涙が止まらない悲しい場面が待ち受けているのですが、それはさておき。

朝、仕事に向けての一歩を踏み出すにあたり、モチベーションを上げるにはうってつけの曲であることに間違いありません。

 

そして、オペラ「アイーダ」より「凱旋行進曲」。

この曲はサッカー日本代表の応援曲でも使われていましたので、聴けばきっと「あぁ、知ってる!」となるのではないでしょうか?

アイーダトランペット」と呼ばれる、式典用の長いトランペットのファンファーレから始まるこの曲は、応援曲に選ばれただけあって、テンションのあがる1曲です。

ただ、私が持っている盤の録音は、全幕オペラのライブ盤で演奏がひどい!象徴的なアイーダトランペットが、ところどころで「ヘプ~」という音を出して脱力させてくれます。

録音のいい盤を探しているところですので、お奨めがあれば是非教えてください。

 

まだまだ他にも沢山あるのですが、この3曲は特に頻繁に聴いています。

とにかくテンションが上がって元気になるのです。

 

そういえば、最初の2つがこれからの戦いに向けて歌われる曲、最後の1つが勝利の凱旋を祝う場面で演奏される曲、と3曲とも戦いに関連していることに気付きました。

戦い、、、昔、ジャパニーズ・ビジネスマンに向けて歌われた曲「♪24時間戦えますか~♪」なんてのもありましたね。

 

 

さて、そうは言っても、毎朝テンションが低いわけではないので、爽やかな気分の時は、ロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」から「今の歌声は」などを聴き、

ビゼーの「真珠とりの歌」、ミンクスの「ドン・キホーテ組曲」、他にもチレアやカタラーニを聴いて幸せな気持ちになったり、

クリスマスが近づくと、「くるみ割り人形」から「花のワルツ」、オペラ「ラ・ボエーム」から「冷たい手を」、「私が街を歩くと」他、クリスマスを感じる曲に変えたりもします。

 

その時の気分や、季節に合わせて音楽を選び、プレイリストを作っていく過程もまた楽しいものです。

 

ちなみに、週末を目前に控えた今朝は元気いっぱいでしたので、更なる元気注入曲として、嵐の「感謝カンゲキ雨嵐」を聴いて、

明るく軽く「SO SO イイことなんてなーい♪ ・・・・・ 毎日FOOL♪墓穴をFALL♪」と口ずさみながらオフィスのドアを開けました。

 

皆様もお奨めの曲があれば、是非教えていただければ、と思います。

 

本日も良い1日をお過ごしください。

 

「"観る"バレエと"する"バレエ」(2013年6月28日 金曜日)

これまでに2度、オペラの話を書いてみましたが、僅か9年のオペラ鑑賞歴に比して、

実はバレエ鑑賞歴の方がずっと長く、観るのも、実際に踊るのも大好きです。

 

さて、そんなオペラ・バレエ好きの私、先週末に『ジゼル』というバレエを鑑賞しに行ってまいりました。

 

どのようなあらすじかと申しますと、

 

病弱なジゼルという村娘が、身分を隠した隣国領主の息子アルブレヒトに見初められ、恋に落ちます。

でも、なんと!実はこのアルブレヒト、ジゼルの村の領主のお嬢様の婚約者だったのです。

真実を知ったジゼルは傷心のあまり錯乱し、ついには死に至ってしまいます。

結婚を目前に亡くなった乙女たちは、ウィリという、森の精霊になるのですが、ジゼルもその仲間に迎え入れられます。

ちなみに、森の精霊ウィリといってもかわいいものではなく、通りかかる男達を踊り狂わせて、死に至らしめるという恐ろしい存在なのです。

 

そんなある日、ジゼルを失った傷心のアルブレヒトが、ジゼルの墓を訪れます。

ジゼルは、彼の命を奪おうとする他のウィリたちから、彼を庇い、守るために必死に立ち向かうのでした。

やがて夜明けの鐘が鳴り、ウィリ達はいなくなり、ジゼルもアルブレヒトに最後の別れを告げるかのように、静かに消えていきます。

そして舞台の上には、自分のしたことを悔いるアルブレヒトだけが、ジゼルのお墓の前に残される、、、、

 

と、ざっくりこんな感じです。

 

その日はカーテンコールが終わって場内の照明がついても、殆どの観客が席から離れず、

拍手とブラボーがぱらぱら続き、再び大きくなり、終いにはまたカーテンが開くほど、素晴らしい舞台でした。

 

自宅に戻ってからも感動がおさまらず、なかなか現実に戻れません。

音楽をかけて聴いているうちに身体がうずうずしてきたので、家でなんちゃってレッスンを始め、ジゼルになりきってみました。

 

なりきって、ふと鏡の中の自分を見ると、そこにはジゼルとはかけ離れたへなちょこな踊りっぷりの私の姿。

重力を感じさせなかった舞台上のジゼルとは違い、地球上の重力を思いっきり受けて踊っている私。

 

、、、、、お陰様で、あっという間に現実に戻ることが出来ました。

 

「観る」バレエと「する」バレエの差に毎回落込みつつ、それでもまた元気に、鑑賞に足を運ぶ私です。

 

本日も宜しくお願い致します。

「ブラボー!」(2013年5月31日 金曜日のコラム)

オペラで素晴らしいアリアが歌われた時などに、観客から投げられる賞賛が「ブラーヴォ / ブラボー (Bravo)」。

女性には「ブラーヴァ (Brava)」、複数の人々に対しては「ブラーヴィ (Bravi)」という声が掛けられます。

オペラ限定ではなく、クラシックのコンサートやバレエなどでもよくこの「Bravo! Brava! Bravi!」」を耳にします。

 

私も叫んでみたいのですが、これがなかなか言えない。

使い分けなんてとてもじゃないので、せめてスタンダードな「ブラボー」。まずはここから、と思っているのですが、スタンダードな「ブラボー」ですら言えない。

一度でも言えたら、その後は躊躇なく言えるのではないかと信じており、とにかく、いつか、いつの日にか叫んでみたいと思っています。

 

感動で気持ちが高揚した時などは、本当にもう口の中は喉の奥まで「ブラボー」で一杯なのに、、、、、あぁ、叫びたい!この感動を伝えたい!と思いながら、やっぱり未だにどうしてもこれが言えないのです。

こう見えても、意外と小心者なので、せっかく振り絞った勇気がいつもそのまま小さく消えていってしまいます。

うーん、一体いつになったら叫べる日が来るのでしょうか?

 

いつしか心のなかで「ブラボー」と小さく叫ぶことが習慣化しつつあり、TVでドキュメンタリーを見て感動しては、心の中で「ブラボー」。

スポーツクラブで汗を流して頑張った私にガッツポーズ入りで「ブラボー!」。

会社に向かうために家を出たらいいお天気、、、「やった、ブラボー!」

電車で席を譲っている人を見ると、心の中で「ブラボー!」。

 

今朝、すれ違った時にいい笑顔をしていた皆さん、私は心の中で叫んでいます。

「ブラボー!」

 

今日も素敵な笑顔で、良い1日をお過ごし下さい。

本日も宜しくお願い致します。

「仕事への原動力」(2013年5月24日 金曜日)

数年ほど前まで、海外旅行に行った際、時間と機会があればオペラの鑑賞をしていました。

下調べもせず知識もないままに鑑賞するオペラは、これほど退屈なものはなく、時差ぼけと退屈さとで毎回のように眠りこけてしまっていました。

ところが、2007年、オペラ鑑賞を趣味とする(趣味の域を超えている)友人の勧めで、1ヶ月以上しっかりみっちり勉強をして臨んだオペラ「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」鑑賞は、今までに味わったことがないほどの感動で、指揮、オーケストラ、歌手の生み出す見えないパワーに、自然と溢れてくる涙をこらえられず、終演後だけでなく、その後何日も感動の余韻に浸ることとなりました。

そして、その後、たて続けに「ラ・ボエーム」、「トリスタンとイゾルデ」などに足を運び、そこから私の怒涛のオペラ鑑賞生活がスタートしました。

当時は、海外の有名なオペラハウスが頻繁に来日公演を行っていた時期でもあり、素晴らしいプロダクションが目白押しで、鑑賞をスタートするタイミングとしてはとても良かったのだと思います。

 

オペラ熱が高まったその時期は、来日公演のほぼ全てに足を運び、NYを訪れた際には、全てのエネルギーをメトロポリタン歌劇場とニューヨーク・ステート・シアターに向け、1週間の滞在中、9つの舞台を鑑賞するというはまりようでした。

海外出張の際には、クライアントやインターナルのディナーは最小限に抑え、可能な限り劇場に足を向け、他にも、オペラ・ヘッドであるその友人推薦の関連書籍やCDを買い漁り、徹底的に勉強し、それが本当に楽しくて仕方ありませんでした。

今から考えると、当時はものすごい散財をしていたのかもしれませんが、触れるもの全てに感動し、オペラの勉強をすればするほど楽しくなっていっておりましたので、得たものもそれなりに大きかったのではないかと自分なりに納得、、、というより、そう言い聞かせています。

 

さすがに、いつまでも散財を続けると生活も危うくなるわけで、今では鑑賞する舞台(特に来日公演)を厳選してはおりますが、今年も素晴らしい舞台が目白押しで、どれも楽しみで仕方ありません。なかなか選びきれず、よーし、あれも行くぞ!これも行くぞ!

 

、、、、と思う力が、私の仕事に取組む原動力となっています。

 

皆さんの仕事への原動力は何ですか?

本日もどうぞよろしくお願い致します。