夢で、また逢えたら

オペラ、バレエが大好き。2009年に人生で初めてジャニーズの嵐と出会い、V6三宅健が気になりだし、2016年春に華麗なダンスとアクロバットで魅せるSnow Manに完全陥落。Je t'aime et je t'aimerai pour toujours.

全力でSnow Manを応援し続けた2017年

2017年、私は年の初めに今年は全力でSnow Manを応援すると決めた。

 

今までのジャニーズ人生の中で「応援」ということに最も心を傾けて

なんだか訳も分からずなりふり構わず一生懸命

私なりにSnow Manを応援した1年だったと思う。

 

どう応援したらいいのかも分からないまま

ただただひたすらに「好き」という感情だけで1年を突っ走った1年だった。

 

ちなみに私の「好き」は「LOVE」の「好き」ではない。

 

なんだろう?

 

年齢のせいもあるけれど、私のリア恋枠はジャニーズの中ではV6の坂本君ただ一人だけで、でもそれもジャニーズで言えば、というだけの話であって、超現実的に日々を生きている私にとってはそれすらも絵空事のひとつでしかないと思っているので敢えていうところの坂本君がオンリーリア恋。それをベースに考えると、ジャニーズに対する私の「好き」は基本的にシンプルに存在が好きの「好き」。

 

才能を信じていて、その才能に惚れて

いつの間にかその人のことが好きになり応援する。

考え方とかそれに付随する発言のひとつひとつが好きだから

いつの間にかその人のことを好きになり応援するようになる。 

これが私の基本の「好き」である。

 

私はSnow Manを知るまでジャニーズJr.とは全く縁のなかった人間で

私が今まで好きになった人たちは所謂デビュー組ばかりで

もう既に確固とした地位を築いている人たちばかりだったので

身を粉にして心を砕いて応援するなど正直考えたこともなかった。

 

だからコンサートに行く限られた時期だけ妙にアグレッシブになり

テレビの観覧や映画の試写会などには日程が合わず全く参加しない私は

それ以外の時期は完全にパッシブ体制で

好きなグループを応援しながらのんびり通年過ごして行くのが普通だった。

 

だけど昨年初めてジュニアの世界に足を踏み入れてしまった私は

Snow Manに対しての応援が今まで私がしてきたデビュー組へのそれとは全く違うやり方でなければならないことを思い知った。

 

そうでなくてはいけないのではなくあくまでも自己満足の世界ではあるけれど

とにかくこの才能ある子たちをいつまでも限られた狭い世界に置いておくべきではない、広く世の中に知らしめたい、という気持ちが最高潮に達した状態で2017年を迎えてしまった。

 

そういうわけで2017年は私生活のマジョリティをSnow Man界隈に捧げた。

仕事のスケジュールが思うようにいかないところでフラストレーションと戦いながら可能な限り調整し、だけどそれでもチケットはなかなか入手できないジレンマを抱きながら悶々とする日も少なくなかったけれど、行ける公演では思い切り声を出して頑張って応援してますオーラ満々で現場に乗り込んでいた。

 

銀行口座の残高を一切気にすることなく公式グッズ買付けに精を出した。

グループ全体を推しているので6人全員の写真を満遍なく複数買いオトナ買いし、だけど今年のある日突然、ひょんなことをきっかけに佐久間君が「お気に入り」から「溺愛」に昇格したため、全員の集合写真、個人の写真に加えて佐久間君だけの写真がハンパないくらい積み上がり、とうとう我が家には佐久間箱なるものが出来た。

いつかきっとSnow Manを好きになってくれるであろう新規のファンの方々のためのステマグッズの一部としてきちんと保管しておく。

 

限界を超えて体力を使い果たした。

もう若くはないのと、毎朝5時起きで7時過ぎにはオフィス入りするため基本的に翌日が平日の場合は連日連夜遊びに行くことのない私が連日連夜現場入りすることもあり、日中の仕事に差し障ることなど当然許されないので、後半は冷蔵庫にいつも湿布と栄養ドリンクを常備することとなった。

 

V6ツアーの時だけ正直Snow Manのことを忘れかけた。

だけどV6を楽しみながら、いつもステージを見ながら、

「いつかSnow Manにも同じ光景を見せてあげたい」とか

「いつか君たちもきっとデビューして私たちをアリーナに連れてきてね」とか

楽しいV6のステージを見ながらいつもSnow Manのことが浮かんできて

その度になぜか思い通りにことが運ばないことに無力を感じ泣いてしまっていた。

10月18日の横アリの見学席にSnow Man6人が揃って現れたのを見たとき、私の好きなグループと私が今最も応援しているグループの点と点が1本の線になって繋がったような気持ちになり、まるでその線がデビューへと続く1本の糸のように思えてしょうがなかったのを思い出した。

 

 

 

1月ジャニアイ。

連日続くジャニアイの舞台で6人みんなボロボロのはずなのに、笑顔で責務をこなすSnow Manが誇らしかった。心配する人も多かったと思うけれど、私はこれをこなしてこそ株が上がると信じて、笑顔でステージをこなす職人たち6人を、どんなにステージの後ろにいても隅っこにいてもどこにいても目で追い続けた。

 

3月ジュニア祭り

ジュニア祭りで別格のオーラを放っていたSnow Man。白とシルバーの雪のようなイメージのジャンプスーツがとても格好良くて可愛かった。一方でまだここに居続けることに違和感があり、何としてでも早くここからもっと広い世界に出て欲しいという気持ちが募るばかり。

 

4-5月滝沢歌舞伎

滝沢歌舞伎では重要な役を任せてもらうだけでなく、タッキー、健君、五関君から愛がたくさん詰まった楽曲フルセットを頂いた。金色のベルベットスーツは今も私の誇りだ。Boogie Woogie Babyを聴くと特別な思いを感じる。

 

5月クリエ

クリエは劇場が会社に近いということもあり、毎日毎日劇場に通って当日券並びに精を出した。チームのみんなに「今、私が全身全霊を込めて応援しているグループがクリエ劇場でライブをやっているので」と理り、毎日毎日昼と夕方と並んだ。

交換で行けた初めてのクリエ公演では新しい発見がいくつもあり、Snow Manのことがもっと好きになった。同行させてくれたのは17歳の高校生で、おばさんを同行させてくれたことに今でも感謝。

 

8月

キントレは本当に楽しかった。たくさんたくさん声を出した。これでもかというくらい声を出した。この月から本格的に仕事が忙しくなってきた私は結構無理してしまったけれど、ずっと立ちっぱなしで体力的にも本当にきつかったけれど、クリエからたった数けがつでレベルアップしているSnow Manのことが誇らしくて誇らしくて愛おしくて愛おしくてしょうがなかった。

 

健ティのサマパラも行けなかったし

少年たちLIVEも唯一の休日ですら休日出勤が重なり行けなかったけれど

確実に歩を進めているSnow Manを感じた。

 

 

9月少年たち

大好きな「少年たち」の舞台。始まるまでは今年もスノストが舞台を務めることに複雑な気持ちもあり卒業して欲しい気持ちもあったけれど、任せてもらえる舞台は全力を尽くす、ジャニーさんの大好きな舞台を任せてもらえることに感謝している、自分たちにとっても好きな舞台なので任せてもらえる限りは全力で務めたい、ずっと任され続けたい等々の言葉を聞いて、卒業して欲しいと思った自分を恥じた。舞台は本当に素晴らしく、涙が何度も出てしまった。

 

10-11月少年たち大阪

LIVEを経ての初の大阪松竹座での「少年たち」の舞台は何よりSnow Man6人の演技に胸を打たれた。日生の時には気づけなかった些細な動きが大阪松竹座では鮮明に目に入り、それだけでなく更にグレードアップした舞台のクオリティに感嘆。こんな子たちが一体いつまで限られた小さな世界に居続けないといけないのか、自分では到底解決できず答えも得られない問いかけの中で矛盾とやるせなさは募るばかり。

そういえばこの月はV6ツアーでの地方行きや横アリ公演、2度の海外出張の合間に大阪に通い、体力が限界メーターを振切った月だった。

 

12月湾岸

なんと。交換をドタキャンされて直前に参加できない憂き目にあってしまった。

そのせいか、今年が終わろうという今でも辛くてレポを読めない心の小さい私だけれど、そもそもこんなに人気があるのになぜこんなにキャパの小さいところでやるのか!?という責任転嫁で乗り切っている。

 

出張のお供に常に佐久間君、Snow Manの写真を携帯し、シンガポールや香港のオフィスで佐久間君、Snow Manと記念撮影をした。プライベートな休暇で行ったフロリダの姉の家に佐久間君の写真を1枚だけ忘れてしまい、佐久間君がフロリダで年越しをするというオチにも見舞われた。

 

久しぶりに図画工作に精を出し、Snow Manグッズ製作に精を出した。

ジュニア祭り用に作った6人分のうちわはその後うちわOKの現場がないので使えないのが寂しい限り。正々堂々とうちわを持てる現場よ早く来い。

 

沢山のSnow Manのファンの方と知り合い

沢山の方にお仲間に入れていただき

時に喧々諤々意見を言い合うこともあったけれど

総じて言えるのは誰もがみんなSnow Manを愛していて

どうやったらもっと結果が見える応援をできるのか

どうしたら彼らを高みに進めてあげられるのか

どうしたらどうしたらどうしたら、、、、一体この先どうしていったらいいのか

そんな話ばかりをしていたような気がする。

 

 

本日は12月31日。

そんなこんなで」私の2017年は今日で終わる。

がむしゃらにSnow Manのことを考え続けた今年が終わる。

Snow Manにとって今年はどんな年だったんだろう?

来年はどんな年になるんだろう?

そして私は、私たちはどうやってもっともっと高みにいかせてあげられるんだろう?

 

答えはいつも見えないから

だから2018年も変わらず全身全霊を込めてSnow Manを応援していく。

 

皆さま、良いお年を!

Snow Manについて思うこと

昨年の滝沢歌舞伎でSnow Manの存在を知って1年とちょっとが経った。

 

滝沢歌舞伎でSnow Manを認識し、滝沢歌舞伎が終わってから徐々に気になり始め、私、思った以上にこの子達のことを好きなんじゃないだろうか?と思い始め、本格的に好きになってようやく1年が経った。

 

最初はどんなグループなのか調べるだけで楽しかった。

ネットで様々なエピソードを読むたびに笑い、泣き、なんて面白いグループなんだろうと思った。

彼らを唯一定期的に見ることができる「少年倶楽部」で

そのパフォーマンスのレベル、クオリティ、どこをどう切り取っても格好良く決まっていて、グループとしてもそのかたちがしっかりしているのを見て「すごい!」を連発した。

 

 

でも

見れば見るほど

知れば知るほど

好きになれば好きになるほど

「どうしてデビューできないんだろう?」

という疑問がふつふつと湧き上がってくるのを抑えられず、

応援するのも時々やるせなかったり、

苦しかったり、

Jr.が好きなわけじゃない、Snow Manが好きなんだ、

と訳のわからない現実逃避をしてみたり

 

でもどう考えたってどんな言い訳をしたとしても

大好きなSnow Manがデビューしていない事実に変わりはないわけで、

何をできるわけでもなく非力な自分がいて、

非力だからこそ唯一出来る

リクエストを書くことや、

自分のツイッターからリクエストを出そうと呼びかけたり、

他に呼びかけしている人を見つけたらリツイートして賛同を表したり、

そんなささやかなことを淡々粛々と日々こなし、

時に喜び、時に落胆し、

 

Snow Manを好きになって以来、私の感情は彼らに振り回されっぱなしである。

 

初めて好きになったジャニーズは嵐。

何一つ心配することなんてなかった。

彼らは国民的アイドルの呼称を得て、その輝きは年々増すばかり。

そしてV6を好きになった。

TOKIOを好きになった。

他のグループにも興味を持つようになった。

 

どのグループもデビューして既に確固たる地位を築いていて、輝かしいオーラを放ち、キラキラとたくさん輝いていて、大人のグループは年を重ねていぶし銀のような輝きを放ち、沢山のファンがいる会場でコンサートをし、アルバムを出し、シングルを出すたびにテレビの音楽番組で歌い踊り、それが当たり前だと思っていた。

 

Snow ManはジャニーズJr.の1ユニットで、既に10年以上のキャリアを持っている。

ダンスが凄い、アクロバットが素晴らしい、先輩に愛されている、職人気質、、、、

そんな称賛がついて回る。

 

だけどまだデビューしてないからテレビで見る機会もそんなになくて、先輩がテレビでちょこっとエピソードを話してくれるだけでとてつもなく大きな歓喜に溢れてテレビの前で嬉しくて嬉しくてガッツポーズ。そしてツイッター歓喜のTLで溢れる。

 

バックで踊らせてもらう時、画面の端っこやメインの先輩たちの肩越しに、満開の笑顔と溢れんばかりのたくさんの元気を身体中から出しているSnow Manの姿を必死に追いかけている。絶対に見えるはずもないのに、角度を変えてテレビの角の方にはけていったSnow Manたちを追おうとしている。そして使ってくれて有難う、とひたすら感謝。

 

 

 

バックにつくのだって競争。

先日、嵐が出演したMステで沢山のJr.のグループが嵐のバックについたのに、その日Snow Manはいなかった。それだけで胃がキリキリしてため息を沢山ついた。

 

A.B.C-Zのバックには単独でつかせてもらった。

亀と山PにもSixTONESと一緒につかせてもらって本当に嬉しかった。

 

でもそれらは定期的なものじゃなくて、ごく限られた番組に単発で出させてもらえているだけ。毎回のことではないから、たった1度のチャンスがその次に継続して繋がることはなくて、大体が単発で終わってしまう。すると、その時に歓喜に沸いた気持ちが小さく萎んで今度は不安に変わっていってしまう。

 

こんなささやかなことに一喜一憂して、、、Jr.を応援するって本当にしんどい。

噂には聞いてたけど、こんなにしんどいのね。

 

 

 

ネガティブになっているわけじゃない。

だってデビューするって信じてるから。

根拠はないけど絶対にデビューするって心の底から信じてる。

 

 

だけどそれはいつ?

 

 

 

パフォーマンスしている彼らの笑顔を見ていると、本当に大好きだ、この子達!って思う。テレビの前で彼らの格好よさに「きゃーっ!」って興奮している。

 

今年初めてクリエに行った時は、本当に本当に、心の底から楽しかった。だけど一方でまるで子離れできない母親のように「あそこはこうしたもっといいのに」「デビューするにはあとここを工夫して」といらぬお節介魂が湧いてきて、ただただひたすら楽しい、という感じになれていないのかもしれないと思う。

 

 

この夏は仕事の都合でキントレにはたった1日しか参加できないし、少年たちLIVEには1回も参加できないから、その落ち込みが糸を引いているのかもしれないけれど、今のところの願いはただ一つ。

 

どうか1日も早くデビューできますように。

 

 

こうしてキントレに1回しか行けなくても、

少年たちLIVEに1回も行けなくても、

定期的にテレビで見られる日が来ますように。

 

 

7月7日七夕の夜にそんな願い事をした。

 

 

 

Snow Man「Boogie Woogie Baby」

2017年7月7日金曜日。

七夕の夜の少年倶楽部でSnow Manの「Boogie Woogie Baby」が放送された。

5月14日の滝沢歌舞伎の千穐楽以来約2ヶ月ぶりにこの曲を聴いて

4月6日の滝沢歌舞伎初日にこの曲を初めて聴いた時のことを思い出してしまった。

 

滝沢歌舞伎でSnow Manの新曲が披露されることは事前に様々な雑誌に書かれていて

楽しみで楽しみでワクワクしながら迎えた初日。

 

タッキーが100曲以上の候補曲の中からSnow Manに合う曲を選んでくれたこと

A.B.C-Zの五関君がSnow Manのために振付をしてくれたこと

そして何より、V6の三宅健君がSnow Manのために衣装をデザインしてくれたこと

 

林翔太君と室龍太君がほのぼのとした掛け合いをしながら紹介されるエピソードがとても温かくて温かくて、こんなにも愛に溢れた曲ってないんじゃないか、私の大好きなSnow Manが先輩方からこんなにも沢山の愛を頂いているのだと思ったら、胸が熱くなって、涙を我慢しようとしたら今度は胸がどんどん苦しくなったんだった。

 

こみ上げてくる涙を喉の奥で堪えて堪えて堪えまくって、

涙で視界が曇ってしまわないように必死の思いで目をしっかり見開いて、

でも、曲が終わった瞬間に涙が両の目からポロポロと流れて、

横に座って見ている母に泣いているのを見られるのが少し恥ずかしかったから

口をへの字にして泣くまいと堪えていたけど

あの時、私の中でもうひとつ何か強い決心が生まれたんだった。

 

「この子達が夢を掴むその日を信じて、もっともっと、今よりももっと応援しよう」

って。

 

そんなことを思い出していたら、テレビの中で金色の衣装を着て

「心配なんてないよ」

「この街角で 君と見てた夢 譲れない」

「たとえムリヤリでも切り開くよ」

「怖いものは無いよ」

と歌っているSnow Manが格好良すぎるのと、

今日も昨日も、そしてきっと明日も頑張っているSnow Manのことが誇らしくて、

初めて聴いた滝沢歌舞伎の初日の夜を思い出して、なんだかまた泣けて泣けてしょうがなくなってしまった。

 

 

それにしても、あの金色の衣装は本当に素敵だった。

 

滝沢歌舞伎で見た時の第一印象でも、他の衣装とはまったく異なっていると思った。

ジャニーズJr.でありながら、見るからに上質でシンプルなベルベットのスーツ。

ありきたりの色じゃなくて少し珍しい金色。

それもオリジナルの衣装。

 

キラキラ光る装飾なんてどこにもなくて、

その時も大人っぽくてとても素敵だって思ったけれど、

テレビで見る金色ベルベットの衣装は、

その時よりも100倍、それ以上、いやいやもっともっと格好良くて、

ステージ上でライトを受けてSnow Manのみんなが踊るたび動くたび

光沢ある艶やかな布地が柔らかく波打って画面の中でキラキラと輝いていた。

デビュー組の衣装と同じくらい素敵で、上品で、

まるでSnow Manのダンスのようにしなやかだった。

 

三宅健君はテレビがメインの人だから、意図してか意図せずしてか

ばっちりテレビ映えする衣装であったことに、改めて感謝。

 

今まではペラペラの衣装だったり、サイズが大きくてぶかぶかだったり、お下がりのリメイクだったりで、

それはそれで似合っていたり格好よかったりすると嬉しかったけれど、

そしてたまに着せていただけるオリジナルの衣装も嬉しかったけれど、

今回は別格中の別格なのだよ。

 

なんてったって健君が布地から選んで

本当は染めから作りたかったけれど時間が限られていたから

織りが綺麗なベルベットの生地を選んで、

それだけだと柔らかすぎるから芯を入れなきゃって。

芯だって、少し薄めなのか厚いのがいいのか、じっくりこだわって

限られた時間だけどいいもの作って

大人のSnow Manを見せたいって。

ラメとかスパンコールじゃなくて、きちんとしたスーツを着せたいって。

1人1人デザインが違うものを着せてくれた。

 

コンサートの準備、アルバムの準備、歌舞伎の練習だって沢山あって

その間に手話やラジオなどのレギュラー出演をこなしながら

衣装合わせの立会いまでしてくれた。

 

滝沢歌舞伎中、翔太とだてさんのソックスの色が白だったり黒だったり

翔太のベレー帽が前髪ありだったりなしだったり

あとで知ったけど、みんな健君が決めてたんだって。

 

テレビで、イントロでスモークが焚かれているステージに6人が仁王立ちで整列して

青い宙の中高々と掲げられた人差し指。

ダンスが始まり後ろ向きの円になり、そこからまた各自の位置へ。

翔太の「C'mon, Let's go」からサイドにあべさく。

ハットを斜めにかぶっただてさんが3人の後ろから飛び出してきて

3人ずつ組んだフォーメーションがV6のトニセンカミセンみたいでなんか嬉しい。

3人が6人になり、4人と2人になり、2人ずつのシンメになりまた6人になる。

 

めくるめくフォーメーション。

揃いすぎてて圧巻の気持ちがいい間奏のダンス。

 

クロバットを封印したというけれど

十八番のアクロバットを封印してもなお有り余る魅力で溢れている。

 

Snow Manの顔でもあり絶対的センターの照はどこにいても存在感があって

シンメのふっかはどこにいても皆んなをしっかり見ているような安心感があって

滝沢歌舞伎では黒髪だったさっくんの金髪がゴールドの衣装にとても似合ってる。

翔太の伸びやかな声とそれに重なるだてさんの声。

阿部ちゃんの一生懸命さはいつも尊い

 

1人1人誰もが格好良くてダンスはキレッキレ。

ジャニーズ以外の他のアーティストにだって引けを取らない。

あぁ、早く世の中の沢山の人に知って欲しい。

 

いつもいつもそう思ってるけど、改めてまたそんなことを思う。

 

 

「綺麗事だけじゃ 語れない 僕らの世界

だけど今日も 夢に見てた 明日を追いかけよう」

そう歌って遠くの方を指差すSnow Manメンバーたち。

 

最後に皆んなで高々と突き上げた腕。

そこから繋がる人差し指が指しているのは何だろう?

 

夢? 未来?

 

デビューという目標であり新たなスタートになるに違いない地点?

 

 そんな場所にきっと近い将来到達することを信じて

 

動くたびに波打って金色に輝く衣装のように

 

Snow Manの未来が光り輝くと信じて

 

今日も明日も明後日も、ずっとSnow Manを応援する。

 

 

 

 

 

 

 

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それにしても映像になる、映像で残せるって素晴らしい。

だからこそ滝沢歌舞伎2017が映像化されないのが本当に口惜しい。

今だって諦めたくないけれど、ここまできてしまったら、映像化することはもう叶わないんだろうか?本当に難しいんだろうか?やっぱり無理なんだろうか?

 

 

滝沢歌舞伎に複数回行くことができた私は、

「今日はふっかの日」「今日は翔太の日」「今日は、、、」

と決めて、できるだけ全員を目に焼き付けようとしていたけれど、

ふと気づくと結局さっくんに目が吸い寄せられてしまっていた。

だから見逃しも沢山あったし、気づかないでいた部分も沢山あった。

 

少クラでもう一度見ることができた「Boogie Woogie Baby」。

待ち望んでいた身としては、もうもうもうっ!ものすごく嬉しいことである。

今回こうして放送されたおかげで、見逃してしまった細かい点や気付けなかったところを何度も何度も繰り返し再生して見ることもできる。

 

もう一度言おう、「Boogie Woogie Baby」が映像に残って嬉しい。

だけど同時に、滝沢歌舞伎映像化がもう叶わないかもしれないという切ない気持ち、やるせない気持ちがふつふつと湧き上がってきてしまった。

 

 

最後にSnow Manが高々と人差し指をまっすぐ突き上げた時、

何かが足りない、と思った。

 

 

そうだ、向かって右にいる優しい顔で見守るタッキーと

左でノリノリの三宅健くんだ。

 

 

滝沢歌舞伎2017、、、、本当に楽しかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Snow Manと出会った2016年、Jr.を知った2016年。

2016年、私の中で最も衝撃的だった出来事は「Snow Manとの出会い」だ。

 

クラヲタバレエオタク兼なんちゃってオペラヘッドの私がジャニーズに興味を持ったのは大人になってからで、その歴は10年にも満たない。ジャニーズは私の生活の中心ではなく、嵐とV6を中心に自分なりにゆるゆると流されるがままにジャニゴトをしていた。まだわずか数年のジャニーズ歴だから知らないこと、足を踏み入れてないテリトリーは山ほどあり、だがしかし、山ほどあることにすら気付かない、そんな程度だった。

 

ジャニゴト。

2016年春まで私はジャニーズJr.にまったく興味がなかった。

興味がないというより、おばさんの私が足を踏み入れてはいけない若者たちの世界だと思い、意識的に遠ざけていた。

 

友人が今度ジャニーズJr.に行ってみませんか?と誘ってくれても

大丈夫(興味ないから)」と答え、

今のJr.は本当にレベルが高いので◯◯さん(私)もきっと好きになると思いますよ、と言われても、

大丈夫(本当に興味ないから)

と答えていた。

 

 

2016年の春に大好きなV6の三宅健君が滝沢歌舞伎に出演することになり、初めて「滝沢歌舞伎」を観に行った。

 

(実はその時が初めてと思っていたけれど実は2010年から何度か滝沢革命、滝沢演舞場、滝沢歌舞伎を観ていた。お友達に招待されてお邪魔していたので記憶から抜けてしまっていた)

 

毎度お馴染みジャニーズチケット大激戦の中当選した、たった1日だけの公演に行く数週間前、V6担の友人と2人で我家でV6会をしながら来るべき滝沢歌舞伎について色々情報交換をしていた。

友人が、今回の「滝沢歌舞伎」では”さっくん”と呼ばれるジャニーズJr.の男の子が三宅健くんに絡み纏わり付いてウザがられているが、それが逆に評判となっているらしいと教えてくれた。

ジャニーズJr.に一切興味がない私は、「私の健くんがJr.に絡まれているだなんて100年早い!許しがたい!」と思ったが、「へー、そうなんだ」で話は終わってしまった。

 

それくらいどうでもいいことで、そもそもそんなことには興味がなかったのだ。

 

まーでもこれはつまり健くん特有のTHEツンデレ発動で。

今改めて振り返ると、今までJr.と接する機会が殆どなかったとは言え、好き嫌いがファンからみてもうっすら感じられるわかりやすい健くんがここまでJr.のことを気にして話題にすることなんて今までなかったから、健くんってやっぱり佐久間くんのことが好きだった、、、若しくは今までに出会ったことのない生物で興味津々だったんだろうなって思う。

 

 

 

 

話は戻り、そのV6会の最中、ちょうどいいタイミングで共通の知人から連絡があった。来週の滝沢歌舞伎のチケットが2枚あるので一緒に行かないか、とのこと。その時一緒にいた友人は行けないというので、1日だけの公演鑑賞では淋しいと思っていた私は「私が行きます!」と速攻でお返事をした。

 

 

 

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鑑賞日当日、そもそも私は健君しか目当てではないのだが、そう言えば6〜7年くらい前に会社の同僚からチケットを譲受けて「滝沢演舞場」に行ったなぁ、なんてことを思い出しながら「あれからどう変わったのかな?」なんて漠然と思いつつ、ほぼ何の予備知識・事前情報もなしに滝沢歌舞伎を観た。

 

始まった瞬間、2人の背が高い若い男性2人が登場した。

 

男の子じゃなくて男性だった。

 

そのうちの1人がジェシーだというのは何となくわかった。

ジャニーズJr.をほとんど知らず、予備知識もない私がたまたま知っていたのはジェシー、そして昨年「エリザベート」観劇で知った京本大我、この2人だけだった。

 

だけどその日最も気になったのはぱっと目を引くハンサムジェシーでも、従前より気になっていた可憐で才能豊かな大我でもなくて、ジェシーと一緒に登場してきた名前を知らない1人の男性。

 

すっとした顔立ち。

剣を操りながらひらりと軽く宙を舞う彼の所作の美しさ。

ひとつひとつの動きの鋭さ。

観賞しながらそれらがとても気になって気になってしょうがなかった。

 

滝沢歌舞伎の内容については既に沢山の方々がお書きになっているのと、その頃あまりにも知識がなさすぎたこと、そもそもちゃんと見れていないという理由から割愛させていただくが、とにかく全体的に想像していた以上にクオリティが高くてびっくり。目から鱗とはまさにこのことだった。

 

それでも興味ある方は「滝沢歌舞伎DVD」をお買い上げ頂きたく。決して損はさせません。佐久間くんの嫁の1人、矢澤にこちゃんの言葉を引用した口上も見られます。

 

幕間にチケットを譲ってくれた滝担の同行の友人に1人1人名前を教えてもらった。

 

ジャニーズJr.初見の私がものすごく気になっていた子のことを説明すると

岩本照くんだよ、と教えてくれた。

 

一発目で登場した背が高くてかっこいい日本顔のジャニーズっぽくない方の子は誰?

→岩本照

 

声に張りがあって”私は格好いい”って自分で言ってた子は誰?

渡辺翔

 

おまるは何ていう子?

→深澤辰也 

「深澤辰哉」の間違い。これ以降漢字を間違えまくってるが2016年の新規の私を許してあげて欲しい!

2019.12.6追記

 

怖そうな顔のお侍さんは?

宮舘涼太

 

気象予報士ってあの子なのね ←阿部亮平はジャニーズ初の気象予報士誕生!とニュースで流れていたため、名前だけ知っていた

 

頭の鯉のぼりが可愛いバカ殿は?

佐久間大介(”可愛い”はこの時はまだ鯉のぼりに対しての形容詞)

 

なんと、私が気になった子全員!全員がSnow Manというグループに所属している子達ということだった。先日、V6担の友人が話していた「さっくん」という子もそのグループの中の1人でおバカな殿様役金之助を演じている子で、ちなみに役だけでなく本来の彼もちょっとだけおバカちゃんで面白いんだよ、と教えてもらった。

 

 

Snow Manとやらいうグループ、全員の顔と名前はまだ一致していないが、なんか気になる。だってパフォーマンスが群を抜いて美しいし、舞台の上で圧倒的な存在感を放っているんだもの。

 

これは本当にJr.なのか?JACじゃないのか?とパンフレットを見て、同行の友人に何度も確認した。

 

その日その時、特別に私の目を釘付けにしたのは岩本照だった。

彼の舞台上での立居振舞いはあまりにも凄みに溢れており、高身長のせいもあって舞台映えが半端ない。口上だってあれは私が思い込んでいたJr.のレベルではない。

その後にいろいろ知ることになるのだが、初見で彼のパフォーマンスの全てがJr.のレベルにもう収まりきっていないことがわかってしまった。

 

 

そして2週間後、自分が唯一当選した大切な1口で母と一緒に2度目の滝沢歌舞伎を観に行った。

 

 

やっぱり面白い、面白すぎる!

やっぱり素晴らしい、すごい!期待以上!

ジャニーズの舞台って想像より凄かった!

 

そういえばこの公演鑑賞の前の回、つまり初めての滝沢歌舞伎鑑賞で初めてSnow Manを認識した公演の日の席は花道脇の席だったのだけれど、その時はまだ各人の名前を幕間に確認しただけでうろ覚え。名前と顔は全く一致しておらず、誰か特定の人だけを目で追い続けられるようなレベルでもなかった。

 

知らないということはとても残念なことでもある。

数ヶ月後のDVD発売によって知ることになるのだが、

あの時私の傍を歩いて行ったのは渡辺翔太、阿部亮平、、、、、

そして、ただげらげら見て笑って楽しんでいた、そこにいたおまるは深澤辰也、、、、、予習をしなかったポンコツの私は至近距離で見るすのーまんを誰1人として認識出来なかったのだった。あんなに近かったのに!そんなこと初めてだったのに!

 

 

 

合計して2回の滝沢歌舞伎観賞もあっという間に終わり、Snow Manをうっすら思い出しながら日々を過ごしていたら、ほどなくして「あの子たち少年倶楽部に出てるよ。」と友人が教えてくれた。

 

少年倶楽部なんて見るのはいつぶりだろう?でもとりあえず見てみた。

 

岩本照やっぱりすごいな。

 

一方で、V6担の友人とはその後お互い別々に滝沢歌舞伎観賞を楽しんでいたのだが、彼女から「佐久間大介が気になる。それどころか6人全員のことが気になりはじめてしまった」と聞いた。

 

私も岩本照が気になる。おまるも好き。なべしょ君という子もなんか可愛い。あべだてももっと見たい。では一緒にクリエに行きましょう!ということになったが、残念ながら既に申込みが終了していた。

申込終了どころか、このSnow Manというグループは、実はたった数枚の当日券に1,000人以上が並ぶ人気Jr.グループだということもその時に知った。

行きましょう、はいそうしましょうと言って簡単に行ける代物ではなかったのだ。

 

そしてそこからのサマステ(テレビ朝日の夏のイベントSUMMER STATION)。

このサマステでクリエ不参戦のリベンジを果たした私は衝撃的なものを目にする。

 

 

 

佐久間大介というSnow Manの最終兵器である!

 

 

 

彼のダンスを直に見ているとどうしても目が行ってしまうのだ!!

視線が吸い寄せられ一旦見たが最後、もう視線を外すことができない!!

 

今では佐久間くん世界一可愛い!世界一カッコいい!大好き!と叫んでいる私だが、当時彼がTVに出ている時はそんなに格好いいとも可愛いとも思っていなかった。それなのに実物の佐久間大介はとんでもなく美しく妖艶で、ダンスそのものが何かを物語っているかのように非常に感情豊かで、彼もまたTVには十分収まりきっていないことが発覚した。彼の一挙手一投足が「物語」で、彼が踊る空間だけが闇夜に浮かぶ月のように浮き出て、そこは彼独自の世界だった。

 

私はバレエをしているのだが、彼のPort De Bras(ポール・ド・ブラ)の美しさはバレエの経験からくる賜物に間違いないと思うし、突出した表現力もバレエのマイムからきているものなんだろうか?

 

宮舘涼太の踊りもキレッキレだし、岩本照は言わずもがな。深澤辰也がおまるとは全然別人の格好よさで、渡辺翔太の色気もすごい。そして阿部亮平、、、、なんだこりゃ!なんて可愛い子なんだ!と。

 

だけど、踊ってる佐久間大介を目にしたもうその瞬間から一気に佐久間大介に急降下。

 

岩本照も相変わらず好きだ。

みんなのことがものすごく好きな中での

 

予期せぬ佐久間大介急降下事件。

 

多ステというものを知らなかった私が「少年たち」には7回も行ってしまった。

Jr.初心者の私にはこの回数は驚きの数字である。今までの人生、ひとつの舞台にこんなに通ったことがなかった。バレエやオペラなどに通ってもキャストが入れ替わるからその変化を楽しんでいるようなもので、キャストが同じなのにこんなに通うなんてことは今まで一度もなかった。何度通っても飽きなかった。飽きるどころかもっともっと見たいと思った。毎回が発見の連続だった。

 

ものすごい勢いでSnow Manにハマっている私に恐怖と圧を感じたのか、周囲の友人ほぼ全てが「折角だから一緒に行きましょう!」と声を掛けてくれたのだ。

 

私が初当選した少年たちはA列の角席で、手を伸ばせば触れる(触りません!)距離で、すぐそばに立って演技する宮舘亮太(「宮舘涼太」のことです。2019.12.6 追記)が動くたびに体温を感じ、深澤辰也が前を駆け抜けた時に舞い立つ風を感じ、その時の私は多分白目を剥いて口から泡を拭き、血圧は300を突破しているんじゃないかと思うくらい訳が分からなくなり今やその時の記憶は断片でしかない。

 

90度の壁を垂直に滑り落ちるジェットコースターに乗ったくらいの勢い(ここまでの角度だと滑る、じゃなくてただの落下だが)でSnow Manに一気にオチた私。

 

見事に陥落!888888!!!

 

でもそれだけではない。

こうしてSnow Manのことを色々調べたおかげで、それをきっかけに今年初めてKis-My-Ft2のコンサートに行き、A.B.C-Zのコンサートに行き、「アンダースタディ」「ダニーボーイズ」「三婆」等ジャニーズJr.の子たちそれぞれにが出演する様々な舞台にも足を運び、Snow Manだけじゃなく全体のレベルが自分が思っていた以上に高いことを知ることができた。

ジャニーズJr.を知る前から行っている「エリザベート」には今年もまた行き、こういう場でジャニーズJr.が活躍していることを遅ればせながらようやく知り、改めて驚嘆した。

年末には初めてジャニーズWESTのコンサートに行き、その際に関西ジャニーズJr.のショーにも行き、関西ジャニーズJr.のレベルの高さと楽しさを知った。

 

 

今年、Snow Manを知り私の世界は広がった。

 

ジャニーズライフがもっともっと楽しくなった。

 

 

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4月

滝沢歌舞伎」でSnow Manを知った。

 

5月

クリエがものすごい倍率だと知って衝撃を受けた。

ネット検索でSnow Manを調べ続けた。

この月から毎週少クラを見ることになった。

 

6月

過去に発売された、Snow Manが少しでも映っていると思しきDVDを片っ端からポチっていった。

「オトナだからいいんですよ、オトナだから。」というのが私の口癖になった。

 

7月

顔と名前が一致して以来初めてSnow Manがダンスしているところを生で見たサマステ。

衝撃を受けた。

震えが止まらなくなった。

こんな子たちがJr.という狭い世界にい続けていいわけがないという確信を持った。

 

8月

Kis-My-Ft2のコンサートに行き、PHYCHOで踊り狂う佐久間大介と岩本照に悶え殺されかけた。その奥にいる渡辺翔太だって見たい!と思ったが、残念ながら私には目が2つしかなかった。

 

9月

「少年たち」でSnow Manが踊りだけではない、舞台役者としても実に素晴らしいことを確信。初めてお手紙(ファンレター)なるものを書いてみた。

滝沢歌舞伎DVD発売!映像を見て、当時見えてなかったものが色々見えて愕然とする。自分が花道脇の席で深澤辰也、渡辺翔太、阿部亮平とものすごく近い位置にいたことを知り、その時に彼らのことを認識していなかった自分を激しく罵る。

バカバカバカ!(ポカスカポカスカ!!)

 

10月

何もない淋しさから更に買い物に拍車がかかる。

いいの、いいんだよ、オトナだから。

いやもう本当に、、、私すっごいオトナだから!!!

 

そして自分を落ち着かせるために一旦、本来自分がいたはずのクラシックの世界に戻ってみる。

 

11月

クラシックの世界に浸り、やっぱり私のいる世界はここなのかもしれない、と安らかにチャイコフスキーヴェルディワーグナーの世界に沈む。

 

12月

ジャニアイで再びテンションがだだ上がる。

クラシックで一旦落ち着いたはずの心が凄まじい勢いでざわつき瞬きをできるだけ減らしてやろうという勢いでジャニアイ舞台をただただ見つめた。

毎回が感動だった。

 

 

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以上が私の2016年の年表である。

ブラボー、Snow Man

ブラボー、Snow Manをようやく知った私!

 

 

 

まもなく2017年がやってくる。

この年、Snow Manがさらなる高みに到達することを願ってやまない。

ど新規ながら声を大にしてもう一度言う。

2017年こそはSnow Manがさらなる高みに到達しますように!!

 

 

深澤辰哉の滝沢歌舞伎千龝樂の口上

僕はSnow Manのためならなんだってやってやります!」 

この言葉はSnow Manの公式の決意表明だ。

 

私がSnow Manのためにできることは応援すること。

声を発すること。

夢を実現させるため、可能な限り出来るサポートすこと。

雑誌への感想や投稿ハガキは勿論、各方面への要望、何ができるか本当にわからないが、私ができることなら、私だってなんだってやってやるつもりだ。

 

彼の、彼らの夢が実現する日が刻々と迫っていると私は信じている。

だから応援する。

Snow Manは世の中に出て行かなくてはダメだ。

 

デビュー組と比較するとJr.の存在は近い。

けれど近くにいて欲しいなんてこれっぽっちも思わない。

もっと遠くに行って欲しい。

うんとうんと遠くに行って手の届かない存在になって欲しい。

そうならなきゃダメだ。

 

 

 

 

2016年、Snow Manとの出会いに感謝。

感謝で一杯だから、だから2017年も力一杯、全力で、全身全霊を込めてSnow Manを応援する。

 

 

 

夢を掴め。必ず掴もうね。

 

光り輝くSnow Man

 

 

 

 

 

「Are You Happy?」嵐 2016-2017 Tour 東京ドーム

11月19日、20日、21日に3日連続で嵐のコンサート@東京ドームに行ってきました。

 

ここのところ、嵐以外のジャニーズの他のグループに夢中になっていた私は、もしかして嵐のことは好きだけど冷めてきたのかも、、、、なんて思い始めていたのですが、始まってみたらあまりにも楽しすぎて、やっぱり嵐が私のジャニーズの原点、スタート地点、そしてホームだと改めて確信した次第です。

 

どんなに好きなグループが増えようとも、ここだけは私にとっては聖地なのです。

 

さて、夏のアリーナツアーが外れた身としては、今回のツアー約1年ぶり。

昨年の「Japonism Tour」ではグランセットに度肝を抜かれました。それまでは「SUMMER TOUR 2007 FINAL Time -コトバノチカラ-」と並んで、直近2012年のTour「Popcorn」が最高の設えだと思っていたのが、オープニングのほんの一瞬でこの「Japonism」もBest of Bestのひとつとなりました。

しかし「Japonism」、あれは本当に凄かった。DVDで見返すたびに、あの凄さが思い出され、ワクワクと興奮が今でも湧き上がり、あの時あの瞬間の興奮が鮮明に蘇ってきます。あの豪華さが映像だけでは伝わりにくいもどかしさも感じますが、そもそも映像に収めるのも難しいくらいのスケールのグランセットだったのです。

 

もう、ありとあらゆる意味においてのエンタメ最高峰のステージを昨年見てしまったということ、毎年アップグレードしてくるので、今回のツアーは一体どうなってしまうのだろう?と思っていたのですが、いざ蓋を開けるとこれがまた去年と打って変わってシンプル。シンプルだけど拍子抜けもなく、いつもにも増しての温かい雰囲気に包まれ、まさに「Are You happy?」と皆んなで声かけあっている感じ。この転換の妙、脱力しているようで気を抜いてない、また、要所要所にきちんといいお金のかけ方をしているところに改めて嵐のステージ作りのセンスの良さに脱帽してしまったのでした。

 

レポを公開していらっしゃる方が数多くいらっしゃるので、詳細は間違いなくそちらを読んで頂くのが一番ですからここでは割愛しますが、やはり嵐の良さは世間で言われている「仲の良さ」が源にあることは間違いありません。

嵐のコンサートは、その「仲の良さ」から滲み出るあたたかさや、後輩が数多く観覧に訪れることからも想像出来るように、「優しさ」と「挑戦」に溢れています。

毎回新たなチャレンジをし、常に最大数の観客動員を続ける嵐。

ツアー初日の札幌からも少しづつチューンナップを施し、ロケーションとしては2番目の地、東京でも色々変えていたようです。

今年のツアーは久しぶりに、12月半ばに名古屋に行く予定です。また、12月末に東京に戻って2回目のコンサートがありますし、今回は更に1月の最終地福岡まで足を延ばすことに決めましたので、毎度毎度変わっていく、そのチューンナップ具合を確かめていくのも楽しみです。

 

2016-2017 Are You Happy? Tourは始まったばかり。

I guarantee, you will be absolutely happy.

 

この後もたくさんのHappyが続きますように。

 

 

 

 

 

 

「ワルキューレ」ウィーン国立歌劇場(2016年10月12日)東京文化会館

客席の照明が落ちて、ライトが灯っているのがピットだけになった時、奥からマエストロ、アダム・フィッシャーが出てきて、待ち構えた観客が期待に胸を膨らませて盛大な拍手を送りました。それがまだ完全に静まらないうちに右手のタクトが降り上がって、オケから第一音が発されました。

 

そのたった一音だけで、鳥肌が立ち、胸が高揚し、涙目になり、やはり思った以上を遥かに超えて、

 

「只者じゃないぞ、このオケは、、、、!!」と思ったのでした。

 

最初のたった1音で明らかに違いを感じるって、本当に恐ろしいしすごい!

 

ここから始まる5時間の長丁場が楽しみすぎて、ともすれば浮いてしまいそうになる背中や腰を、何とか、何とか、身を乗り出さないよう、自分の座席に身を沈めるのに必死でした。

 

指揮:アダム・フィッシャー

ジークムント:クリストファー・ヴェントリス
フンディング:アイン・アンガー
ヴォータン:トマス・コニエチュニー
ジークリンデ:ペトラ・ラング
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュテンメ
フリッカ:ミヒャエラ・シュースター
ヘルムヴィーゲ:アレクサンドラ・ロビアンコ
ゲルヒルデ:キャロライン・ウェンボーン
オルトリンデ:ヒョナ・コ
ワルトラウテ:ステファニー・ハウツィール
ジークルーネ:ウルリケ・ヘルツェル
グリムゲルデ:スザンナ・サボー
シュヴェルトライテ:ボンギヴェ・ナカニ
ロスヴァイセ:モニカ・ボヒネク

 

今、ここに敢えてキャスト全員を載せたのは、全てのキャストが素晴らしく、全員が場面場面で主役だったと思ったからです。なんなら、舞台美術や照明、衣装デザインの方々全員をも載せたいくらいです。

大抵突っ込みどころがあるキャスト、演奏者がいたりして、今回さすがのウィーンでも1人くらいはいるのではないかと思っていたのですが、誰もいないのです。誰もが完璧だったのです。ワーグナーをここまで歌い切る、演奏し尽くすとは恐るべし。

 

このキャストを集めたウィーン国立歌劇場に脱帽と感謝と大きなブラボー。

 

今、私は今、本当に脱力しているのです。

かつて、ベルリン・フィルのマーラ-五番を聴いた後に、口からはみ出た魂をずるずる引きずりながら、カラヤン広場を風に吹かれつつふらふらと横切ったことをふと思い出しました。

かつて、ベルリン国立歌劇場の「トリスタンとイゾルデ」鑑賞後に、NHKホールからの長い道を感動に打ち震えて、涙目でよろよろと駅に向かったことを思い出しました。

 

それと同等の、いやもしかしたらそれ以上の感動でした。

 

素晴らしいという稚拙な言葉しか出てこない自分の表現力の乏しさが呪わしいのですが、何せ本当に、何もかもが素晴らしすぎて素晴らしすぎてどうしようもない、今までの「ワルキューレ」は何だったのかと思うほど、やはりウィーンの「ワルキューレ」は別格でした。

 

まず、オケが艶やか。一体どうしたらこの音が出せるのか、どうやって全員でこの音をキープし続けていられるのかと思いつつ、オペラグラスでオケの面々を見ると、何食わぬ顔をしてしれっと演奏をしていて、それがあたかも日常の延長のような涼しい顔で、、、、そう、彼らにとってはこの輝かしい音の全てが当たり前に日常にあるものなのでしょう。

 

何ということ。

凄すぎる、レベルが違う、別格すぎます!。

 

ワーグナー・オペラは体力勝負のオペラだと思うのですが、今回の「ワルキューレ」ではキャスト全員が常に期待以上の歌唱を聴かせ、見せ場ではそれが期待値をはるかに超えて震えがくるほどで、最初から最後まで最高水準。聴いている方の私も、物音を立てたくない、周りの人工的な音を聞きたくない、息遣いまでもコントロールしないといけないような、緊張感のある鑑賞でした。とにかく舞台から届く音以外の何も聞きたくないのです。

でも嫌な緊張とかじゃなくて、構えて聴きたい、リラックスして聴くんじゃなくて、対峙しながら聴きたい、そんな気持ちだったのです。

 

歌手たちが素晴らしい歌唱を聴かせる中、合間を縫うように埋めるオケの演奏もあまりにも緻密すぎて、耳があと2つ3つ欲しいと思ってしまいました。歌唱の合間を縫うオケの音が、まるで最上級の絹の薄い布が会場じゅうに大きくうねりながら広がっていき、そこにあるもの全てをすっぽり包み込んでしまうような感じなのです。

 

とにかく、何もかもを聴き逃したくない。どんな小さな音も全部拾いたい、と思ってしまいました。

 

1幕で、軽いけれど艶のあるクリストファー・ヴェントリスのヘルデン・テノールを堪能させていただいたのですが、2幕のヴォータンとフリッカも素晴らしかったです。

フリッカ役のミヒャエラ・シュースターがすごい貫禄と威圧感。こんな妻がいたら、そりゃヴォータンも大変だ。

彼女の衣装がとても素敵で、びらびら(こんな表現力で情けない、、、、)が一面に施されている暗緑のマントも、その下に着ている、肩のストラップにキラキラと光る石が沢山施されているドレスもとても上品。そして歌。恐らく浮気やりたい放題の放蕩夫をじわりじわりと攻め立てるような感じなんでしょうか?よよよ、と泣きを入れるふりをしつつも圧が凄くてかなわない。そんな感じで怒りに満ち満ちた歌を聴かせてくれました。

 

しかし。しかしなのです!

なにしろ3幕が最高すぎました!最高以上(、、、って一体どこだ?)なのです。

 

ワルキューレの騎行」が勇ましく高らかに鳴り響き、8人のワルキューレたちが歌いながら登場します。このワルキューレたちが格好いいというよりコロコロしていて可愛いのですが、怒り狂ってブリュンヒルデを追ってやってきたヴォータンとのやりとりの間もころころと転がるように舞台を移動し、時にかたまって毛玉みたい(笑)。でも衣装やメイクは決して人間じゃない、そんな独特なファンタジー感もある場面でした。だけど場面はファンタジーというほど微笑ましいものではなく、何せ怒り狂うヴォータンが凄まじい。全員歌が抜群で、朗々と本当に楽しそうに歌うのですが、それがヴォータンの登場により見る見るうちに恐れに変わるのです。

 

怒り狂うヴォータンの登場により一気に緊張が走ったのですが、ブリュンヒルデとのやりとりに移るにつれて、強い絆で結ばれている親子の関係、師弟関係、信頼関係が見えて取れ、それがまた偉大なる神であるヴォータンに俗な人間ぽいテイストを感じさせました。ヴォータンが娘を思う気持ちと、ブリュンヒルデのまだですか?まだそういうことを言う?的な長々としたしつこい懇願が延々と繰り返されるのですが、これはもう本当に最後の最後の懇願で、いつしか涙が止まりません。

しつこいなんて言葉が過ぎるかもしれないけれど、ワルキューレのあらすじなんて、オペラのあらすじなんてどれも単純で、ワーグナー・オペラなんてその最たるものです。陳腐な話なのです!そうなんです!だけどね、だけど、だけど、、、、その陳腐なストーリーが煌くばかりの演奏に彩られ、素晴らしい歌唱でくっきりと輪郭が浮き上がり、この上ない最上級の輝かしい玉手箱のようになるのです。

最初は静かに流れ始めた涙も「ヴォータンの告別」で涙腺崩壊。そんな時ですら自分の涙に気を取られたくないのです。鼻をすすって1音でも聞き逃すことなんてもう許しがたい。流れる涙は放置。そのまま流れるがままにして音だけに集中していたのですが、「ヴォータンの告別」はあまりに圧巻で、圧巻すぎて、凄まじすぎて、、、こんなに素晴らしい公演を見逃さなくて本当に良かった!

  

今回、「ワルキューレ」の最終日に行ったのですが、もしこれが初日だったら間違いなく2回目も3回目(最終日)も絶対に行っていました。

 

私は頑固で偏屈なところがあり、ワーグナーはゲルマン・オケでしか聴かないと頑なに決めています。お気に入りは断トツでベルリン。ドレスデンも好きだしバイエルンもいい。けれど、ウィーンはなんとなく好きになれず、きちんと聴く前から拒否していました。 毎年NHKで放送されるニューイヤーコンサートを見ても全く食指が動かず(そもそもシュトラウスがそんなに好きじゃない。)、私の中でベルリンとウィーンの差は広がるばかり。

ところが、数年前に指揮者の佐渡裕氏がベルリン・フィルでタクトを振ることになった時に放送されたドキュメンタリーの中で、樫本大進氏がワーグナーをきちんと演奏できるのはベルリンとウィーンしかない、というようなことを言い切っていました。

これを見て、だから好き嫌いとかじゃなくて、いつかウィーンもきっちり聴かなくてはならないと思っていたのです。そう思いつつ、なかなか機会がなく延ばし延ばしにしていたのですが、今回、ウィーン国立歌劇場が3演目引っさげて来日公演をするにあたり選ばれた演目は「ワルキューレ」、「ナクソス島のアリアドネ」、「フィガロの結婚」。

さすがにS席67,000円のチケットを2人分3演目というのは厳しいので今回は1演目だけにしましたが、もちろん迷うはずもなく「ワルキューレ」。これを観ると決めていたのです。

 

他の演目も観たかったけれど、ワーグナーだけは外せない。だけど、今となっては、躊躇せずに「ワルキューレ」を選んで良かったと思います。あれは観るべき舞台でした。観なければ、今頃はネットの感想を読んで、布団の端を噛んでキリキリしていました(笑)。

 

感情の赴くまま書いたこの文章は、感情の投げつけだけで、書きたかった舞台の詳細をも共有できてもいません。

けれど、私がどんなにこの舞台に感動したかということだけでも共有できていれば、それは嬉しいことだと思っています。

 

駄文にお付合い頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

ジャニーズのこと② 〜 私がジャニーズと出会った日 〜

忘れもしません。2008年4月。

その日は私が初めてジャニーズのコンサートに行った日です。

 

10代20代の頃、大学のサークルでパンクとロックのバンドを3つ掛持ちしていた私は、ちょっと玄人目の音楽が好きで、30代になってからは幼少から聴いていたクラシックを時に音源にこだわりつつ本格的に聴くようになり、ジャニーズ?何それ?音楽じゃないよね?なんて小馬鹿にしていたのです。

知らないということはげに恐ろしきなり。

 

さて、その2週間ほど前に、ジャニーズ好きの同僚が

「ねーねー、嵐のチケットを譲ってもらったんだけどコンサート行かない?」

と誘ってきました。

「行かない。」

それだけ答えてその場は終わり。

 

ところが数日後、彼女がまた誘ってくるのです。

「ねー、行こうよー、」

「行かない。だって本当に興味がないんだもん。」

断ったにもかかわらず、翌日、その翌日もずっと誘ってくるのです。

 

今思えば、他に行きたい人は沢山いただろうに、なぜ私をあんなにしつこく誘ってきたのか、今考えても不思議で仕方ありません。けれど今となっては感謝。これに尽きます。

 

さて、興味がないことは3歩進めばすぐに忘れる私。数日経ったある日、仕事帰りに彼女と飲みに行きました。

当時、私は仕事が多忙を極めており、NY、ロンドン、HK、シンガポールバンガロール(インド)、チューリッヒ、、、、時差がある中、様々な地域の担当者とのカンファレンスをこなし、昼夜を問わず働きまくってヘロヘロ。3時間程度睡眠時間を確保できれば万々歳の状況でした。

今から振り返ると本当にものすごい働き方をしており、乗り物の中で眠れない私は、NY出張の時は毎回、出張第1日目は36時間寝ずに仕事していましたし、なんせ当時の部下から「どうしてそんなに生き急いでいるんですか?」と真顔で質問されたくらいです。

そんな時期の「飲み」は大体仕事が終わる12時過ぎ。このまま帰っても気分転換ができないからちょっと一杯、てな感じの「飲み」に行ったのでした。

 

その夜も仕事が終わったのは12時過ぎで、平日殆ど睡眠を取れていない身としては、この時間なら当たり前に帰宅するんでしょうが、仕事で出たアドレナリンをまずは沈静化させないと結局は帰っても眠れないので、会社の隣にあるホテルのバーへ。時間は深夜2時頃だったでしょうか、眠気と少々のお酒で気持ちが良くなったところで彼女が、

「お願い、明日誰も一緒に行く人がいないの。お願いだから付き合って、、、、。」

お酒で気分良く、気持ちも大きくなっていた私は、

「うーん、じゃぁいいよ。」

と返事をしたのでした。

 

「最近もう本当に寝てないからぎりぎりの待ち合わせにして欲しいんだけど夕方でいい?」

「、、、、ごめん、お昼3時くらいでもいい?」

「え?ジャニーズのコンサートってそんな中途半端な時間に始まるの?」

「うん、、、それでぎりぎりくらいだから、、、。」

「東京ドームだよね?待ち合わせはその辺りでいい?」

「東京駅で待ち合わせにしてもらってもいい?」

「いいけど、東京ドームじゃないの?どこに行くの?」

「、、、、、、名古屋。」

 

かくして私のジャニーズ・コンサート・デビューは自宅のある東京都内から新幹線で2時間の嵐@名古屋ドームと相成りました。

 

さすがに場所を聞いた途端断るのも悪いので、もうこうなったら仕方ない。思いっきり「すごく嫌」という感情を露わにして、顔を引きつらせながら翌日の待ち合わせ場所へ向かったのでした。

 

新幹線で名古屋に向かう道中、今だったらドキドキワクワクで、セトリのことやグッズのことを話しながら楽しく向かっているところですが、そこは何度も言う通り全く興味がなかったものですから、当時担当しているプロジェクトについての問題点やプランについて2時間以上討論しまくるという、週末も完全仕事モード。彼女も協力してくれている他チームのマネージャーだったので、無理やり誘った私への遠慮と気遣いで合わせてくれたんでしょうが、楽しいコンサートに向かう途中に仕事の話ばかり、、、、今では考えられない道中でした。

 

さて、会場に少し早めに着きました。すると彼女が

「ちょっとグッズとか見る?、、、あ、でででも興味なかったらいいの!!!(めっちゃ気を遣われてる)」

「グッズってなに?」

「うううううちわとか〜、ぺぺぺぺぺペンライトとか〜、、、、わわわわ私は自分のペンライトとか持ってきてるけど、あなたはきっと持ってないかな〜、なんて思っただけだから(汗)」

「なに、それ?いる?いらないよね(呆)!?」

「あ、そそそそそうだよね!!!!そうだよね、ごめんごめん。」

 

ということで会場の中へ。

始まるまでの十数分、周りを見渡すと様々なうちわを持った方々が。うちわは写真がプリントされているものもあれば、名前やハートマークが書かれてるものもありました。その頃私は、嵐には櫻井くんという子がいる、という知識しかなく(なんなら「桜井くん」だと思っていた。)、しかもどの子が櫻井くんなのか全くわからなかったので、周りの方々が持っているうちわの写真を指差しながら友人に「あれは何ていう子?この子は何ていう子?」と普通に聞いていました。ところが、中に「唐揚げボンバー」とか「マッスル」「チェスト」「笑顔の宝石箱」とか訳のわからないうちわがあったので「あれ何?」「これ何?」と質問攻めをし続けていたら、彼女が「もうお願い、大きな声で質問しないで、、、、」と涙目になってきたので、そもそもそんなに興味がなかった私は、そこから静かに数分の眠りについたのでした。

 

あの暗さといい感じのざわざわがほどよい眠気をもたらしてくれて、私はそのまますーっと短い眠りについたのでした。

 

しばらくすると「きゃーーーーーーーーーーーっ!」というものすごい大歓声とともにステージが明るくなり、そこに嵐と思しき5人の男の子たちが現れました。

するとなんと!!!全員急に立ち上がるのです!

 

仕方なしに私も立ち上がり、腕組みをしながらステージを見つめていました。

 

ん?

 

ん?ん?何だこれは?ものすごいエンターテイメントの世界ではないか?

 

ん、んんんっ!?意外と面白いじゃないか?

 

曲に合わせてどんどん変わるライティング。かたちを変えるステージ。しかも、なんと!客席の上を透明の大きなステージが通過していくではないですか!

男の子たち5人は踊っていない時は歌いながら各方面にバラけ、あちこちを歩きながら客席に向かって笑顔とお手ふりのオンパレード。

時には、小さなカートや大きなトロッコにに乗り、客席の下から上まで、前から後ろまで、端という端から、もう一方の端までくまなく笑顔とお手ふりを届けます。

 

なんだこれ!!!!????

こんなの見たことないぞ!!!!

 

その当時、メンバー1人1人をまだ認識できていない私は、何よりも全体のステージ構成に度肝を抜かれてしまっていたので、メンバーよりもスタッフの動きが気になってしょうがなく、なぜかそちらを重点的に見ていました。

だって、ほら、トロッコ、カート、透明の大きなステージに至るまで、よく見ると沢山のスタッフが人力で押しているじゃないですか!!!!!

 

えーーーーーーっ、これ電動じゃなくて人力ですか!!!????

すごいよ、すごすぎるよ、ジャニーズのこんなきらびやかな世界の一部がアナログだなんて!こんなの見たことない!(そもそもカートとか見たことない。)

 

しばらくするとメリーゴーランドの映像が流され、その横から映像にリンクしてメリーゴーランドの乗り物を模したトロッコに乗ったメンバーが順番に奥から現れました。

何これ?ものすごいステージング!信じられない!

この時も大きな5台のカートをスタッフさんたちが手分けして押しているのです。その上に乗ったメンバーの皆さんはまたしてもキラキラの笑顔。誰が誰なんだかよくわからないけど、花とか葉っぱとかひらひらとかキラキラとかふわふわとか、なんだかものすごい飾りがいっぱいついた衣装に半ば埋もれながら、キラッキラの笑顔で隅々にまで手を振る皆さんの姿に何だか私もテンションが上がってきました。

 

いつの間にか腕ぐみも解けています。

 

あぁ、ところが悲しいかな。

周りの皆さんがメンバーに負けないキラッキラの笑顔でワーキャーしている中、私だけがペンライトを持っていないのです!

私1人が「ぐー」なのです!!!!!

今まで生きてきた中で最高レベルのハイテンションになった私が、ふと我に返って、高くふりあげた自分の右手を見ると、

そこには「ぐー」。

ただの「ぐー」。

何度見ても「ぐー」。

 

その日は今までの人生で自分の「ぐー」を初めて呪ったのでした。

 

帰りの電車の時間があるからアンコールが終わったらすぐに出よう、と友達が事前に言っていたのですが、アンコールが1回終わっても私はその場を去り難く、

「絶対もう1回アンコールするから!ダッシュすれば最終の新幹線に乗れるから!!!だから、だから、もうちょっとだけここにいさせて(涙)!!!!!!」

と懇願し、ほどなくして期待通り2度目のアンコールを迎え、そこで最後に「A・RA・SHI」を聞いてから猛ダッシュで会場を後にして駅に向かい、最終の新幹線に乗り込んだのでした。

 

行きと違い、帰りの新幹線では仕事の話は一切出ず、

 

「もうどうしてくれる私は感激したよジャニーズのコンサートがあんなにすごいエンターテイメントの世界だったなんて今まで拒絶していた私のバカバカバカ(ポカポカポカ!)誘ってくれてありがとう誰が誰なんだかいまもよくわからないけどまた是非次回も誘ってお願いしますまた行きたい絶対行きたいよろしくあぁ本当に楽しかった今日はもう眠れないどうしてくれるのこりゃ大変だでもやっぱりありがとう!!!!!!」

と息もつかずに捲し立てたのでした。

 

ついでに、

「それにしてもどうしてくれるあんなに楽しかったのに私1人だけぐーだった悲しかった涙ちょちょぎれだよどうしてペンライト買えともっと強く言わなかったのだ」

 

友達は冷めた視線で

「言ったよね。ペンライト?何、それって言わなかったっけ?」

 

、、、、、はい。その通りでございます。

 

 

さてあまりにも楽しかった私は、家に帰って嵐のことについて調べ始めました。

とりあえずまずは5人の名前を覚えないと。そして名前と顔を一致させないと。

そして、どうしても頭の中を離れなかった曲を1節「スマイルアゲイン」をネット検索すると上がってきたのが「感謝カンゲキ雨嵐」。You Tubeで確認するとまさにこれ。この曲が私の琴線に触れた一曲。

 

この曲検索をきっかけにもっと嵐の曲が聴きたくなり、その日から夜な夜なYou Tube検索に没頭し始めてしまった私は、少ない睡眠時間が2時間になり、1時間になり、、、、、それでも止まらない、止められないのです!

そうして検索していると一緒に引っかかってくるのが昔のバラエティー。

Gの嵐」何これめっちゃ面白い!

過去の放送を見ていくうちに、あの日うちわに書かれていた「チェスト」「笑顔の宝石箱」の謎も解けてスッキリ。それ以上に面白い内容が沢山あり、1人1人の性格もなんとなくわかってきて益々この5人の男の子たちが好きになり、さらに調べると、今放送されているのは「宿題くん」という番組だということまでわかりました。

 

元それまでテレビ番組を録画してでも見たいというインテンションが全くなく、考えもしなかった私は、再生機能しかないDVD機しか持っていなかったのですが、深夜放送帯のその時間でもなかなか帰宅出来ていなかったり、自宅で仕事をすることも多く、放送を見逃すばかりだったので、それからほどなくして初めて録画機能のついたBDレコーダーを買ったのでした。

 

その日を境に仕事とクラシック、たまに洋楽中心に回ってきた私の生活は一変し、坂道を転げ落ちて弾みのついたその身体をバウンドさせて三回転宙返りで世界最速のジェットコースターに乗り、シートベルト無しで一気に駆け下りていくくらいの勢いで嵐にはまっていったのでした。

 

さて、私が初めて行った記念すべきジャニーズの嵐のコンサートは「Dream A Live」でした。残念なことに、これは数あるコンサートの中で映像化されなかったうちのひとつとなっています。

あの頃は5人の認識もできず、何を歌ったのか全くわからず、断片的なステージと一生懸命裏方作業をこなすスタッフさんたちの姿しか思い出に残っていないのです。本当にお願いしますよ、ジャニーズ事務所さん、JStormさん!

今からでもいいのでお願いします!私の思い出を是非映像化してください〜!

 

さて、その頃は「嵐」にはまったのであって、まだ「ジャニーズ」にははまっていません。

そこからまた更に色々あって広がりを見せていくのですが、その話はまた次回に続く、ということで。

 

 

 

ジャニーズのこと①

今回、このブログで初めてジャニーズのことを書いてみようと思います。

 

オペラとバレエのことを中心に今まで書いてきていますが、なぜいきなりジャニーズ!?という感じでしょうか。いや、私にとってはオペラも、バレエも、ジャニーズも、パフォーマンスのタイプが異なるだけでどちらも素晴らしい舞台芸術だと思っています。敢えて言わせて頂くなら、どちらも総合芸術を極めています!

 

ジャニーズのことを知らないクラシック・ファンの皆さんは「え?ジャニーズ(失笑)?」と思われるかもしれれませんが、一度コンサート会場に足を運べば、ジャニーズの面々がパフォーマンスする舞台がどれだけ楽しい空間なのかがわかります。

少々語弊があるかもしれませんが、クラシックは舞台の上から放出されるエネルギーを受け止める、舞台の上で奏でられる音楽を堪能する、つまり、ある意味受け身で楽しむことが多いと思っています。

一方、ジャニーズのコンサートはコール&レスポンスを楽しんだり、時に一緒に振付けを楽しむ全員参加型。今までジャニーズ以外のJポップスや海外タレントのコンサートに何度も足を運びましたが、ジャニーズの空間は明らかに他とは異なります。

語彙力も表現力も乏しい身にはどう表現していいのか本当に困ってしまうのですが、そこには「ザ・エンターテイメント」というものが存在しており、ジャニーズ・アイドルの皆さんたちは年齢の高い低いに関係なく、誰もが老若男女全てのファンを楽しませることを使命として全身全霊で「アイドル」しています。

 

音楽の種類も異なるし、当然のことながら歌い手の技量も違うけれど、総合的には双方大変素晴らしいものです。

クラシックを演奏するオーケストラはご存知の通り一流です。一流の中でも更にレベルに差があり、一流の中の一流の奏でる音楽はそれこそ至福。知らない間に涙が流れていることは多々あります。

 

でもね、皆さん!ジャニーズの音楽も実は一流なのです。一流のミュージシャンが演奏していて音に厚みがあります。編曲も細部までとても凝っているんです。過去から現在に至るまでのヒット曲を思い返してみてください、楽曲もとてもいいのです。歌に関しては「味がある」方の割合の方が多いのは否めませんが、坂本井ノ原のツートップを始めとするV6の面々、TOKIO長瀬くんのパワフルな歌唱、KinKi堂本剛くんの個性ある艶やかな歌声、嵐大野くんの素直で伸びのある歌声等々、一部しか挙げていませんが、上手な人達も数多くいます。

 

オペラやバレエは音楽がBGMとなって頭の中を流れるけれど、ジャニーズの歌は口ずさめる、カラオケで思い切り歌える、、、、(ちなみに、私はかなり嘘くさいイタリア語やドイツ語を駆使して鼻歌でオペラを歌います。)。

 

違いをあげればキリがない分、どこがいいのか挙げれば、それもまた違いの数だけ挙げることができます。でも、舞台にかける情熱という点ではどちらも同じだと思っています。

 

さて、書くぞ!と意気込んではみたものの、書きたいことが沢山ありすぎてまとまりません。「ジャニーズのこと」って何でしょう?

 

今日のところは一旦ここでストップ。

今考えれば本当にバカだと思いますが、最もアイドルにキャーキャー言う10代20代の頃、私はジャニーズという存在を否定していました。それどころか小馬鹿にしていたのです。そんなわけで当時はキラキラアイドルに見向きもしなかったこの私が、何をきっかけに、ジェットコースターで一気に駆け下るようにジャニーズにはまったのか、その話はまた次の機会に。

 

 

「ドン・カルロ」マリインスキー・オペラ(2016年10月10日)東京文化会館

10月10日に母と2人でマリインスキーオペラ「ドン・カルロ」鑑賞に行ってきました。

 

ゲルギエフが指揮するマリインスキー・オケ演奏@マリインスキー・バレエは今までにも何度か聴いたことがありますが、マリインスキーの「オペラ」を生で鑑賞するのは初めて。映像でしか観てこなかったマリインスキー・オペラがいよいよ生で観られる!聴ける!ゲルギー( = 指揮者のヴァレリーゲルギエフ)が拝める!

今までにも不定期に来日公演があったものの、なんだかスケジュールが合わなかったり、立続けの来日オペラハウス公演に金欠で諦めたり、と縁がなかったのです。

実は、今回も翌月に目が飛び出そうな値段のウィーン国立歌劇場が控えているということ、最近クラシック以外(= ジャニゴトです)の予定が立て込んでいて金欠に拍車がかかっていることもあり、散々悩んだのですが、うーーーーーーーん、思い切って行こう!と決めました。そして、もちろん行った甲斐がありました。

 

今回、キャストはもちろんですが、オケがバレエでの演奏とオペラでの演奏をどう違えてくるのかを確認するのが本当に楽しみでした。

そもそも、バレエの演奏は二軍オケというのは一般的なのですが、マリインスキーバレエの来日公演の際は1日か2日、必ずゲルギー指揮で一軍オケが演奏する日が設けられているのです。マリインスキーではもはや定番ですが、一般的にはなかなかそんな機会はないので毎回ゲルギー指揮のバレエが楽しみなのです。

 

話が逸れました。

まずはオケ。これはもう職人。トップの職人の仕事です。

主張しないオケ。屋台骨をしっかり支えるとでも言いましょうか、ゲルギーの下でとにかく演奏に徹しているところがロシアのオケらしくて。

但し、主張しないといっても単におとなしいとか地味な演奏なのではなく、とにかく最高レベルでの安定。バレエの時の軽やかさはさすがになくて、ここはやはりオペラ。歌い手を引き立たせるしっかりとした演奏でした。

 

メインのオペラはというと、楽しみにしていたフィリッポ2世役のフェルッチョ・フルラネットが期待通りの素晴らしさでした。

ドン・カルロ役のヨンフン・リーは1幕終盤からようやく調子が上がってきて、見せ場のロドリーゴ役のアレクセイ・マルコフとの「神よ、あなたの魂に」に間に合いました、良かった。。。。これはもう私のテッパン曲のひとつですから、これにこけられると後はもう聴く気にならなくなってしまうもので、肝になる一曲でもあるのです。欲を言えば、もう少し声量が欲しかった。

 

今回、マリインスキーにキャストされた男性陣は全て素晴らしくて、特にロドリーゴ(アレクセイ・マルコフ)。彼の歌う最期のアリア「私の最後の日」を聴きながら涙が止まりませんでした。これもテッパンなんですよね。。。

 

エボリ公女役のユリア・マトーチュキナも私の好きなタイプのソプラノで、高音が艶やかで伸びがあり、ロシアの歌手の層の厚さを再認識しました。

 

私は喉に引っかかるような歌い方をするソプラノが好きではないのですが、エリザベッタ役のヴィクトリア・ヤストレボヴァがそれで、聴きながら喉がイガイガ、、、、うーん。彼女は若くて美しい若手の歌手なので、今後はきっと諸々伸びていくでしょうからいい方向に行ってほしいものです。

 

合唱も声の層が厚く、さすがでした。

 

さて、書きたいことはたくさんあったのだけれど、2週間ちょっと経つと記憶も感動も薄れてしまいます。やはり面倒でも毎回きちんと書いたほうがその時の感動を文字にできるのかもしれないですね。備忘録として残せていると、読み返した時にその時の感動も一緒に思い出せますもんね。

 

母はその翌週「エフゲニー・オネーギン」を観に行き、今まで見たオネーギンの中で一番良かったと話していました。やはりロシアものはロシアのオペラハウスに限る、と大絶賛でした。

私は諸事情により土壇場になっていくのを諦めたのですが、まさに後悔先に立たず。あとに立ちました。。。。立ちまくっています(涙)。

 

舞台は一期一会、値段は高いけれど、それなりの価値があるものです。その価値以上の素晴らしい舞台に出会った時は心も身体も震えます。

今回の件も含め、体とお金が許す限り、本当に行きたいものは思い切ってしまったほうが後悔はないということも再認識したのでした。(でも、そう言い訳しながらいつも舞台鑑賞に飛び回っているため、私の財布はかなり薄く、最近は老後が心配になってきた。)

 

次回はウィーン国立歌劇場の「ワルキューレ」。

ウィーンの来日公演は3演目提げて来ますが、お値段はマリインスキー以上に高いので、今回は選りすぐって1演目のみの鑑賞です。

 

以前テレビで、ベルリン・フィルコンマスをされている樫本大進氏が、ワーグナーを完璧に演奏できるのはベルリン・フィルウィーン・フィルだけと話していました。

私もゲルマン・オペラはゲルマン・オケに限る!と思っていますので、これは絶対に見逃せません。今からもう楽しみで仕方ありません。

 

 

 

ボータ、素晴らしい歌をありがとう。

ヨハン・ボータが亡くなったという悲しいニュースが入ってきました。

間も無く開催されるウィーン国立歌劇場ナクソス島のアリアドネ」での出演を控えていたので本当に驚いた、と同時に、数日経った今、改めて悲しさがこみ上げてきます。

最後に彼の出演した舞台を観たのは、バイエルン国立歌劇場「ローエン・グリン」での舞台。本当に素晴らしい舞台でした。彼の朗々たるテノールが頭の中を駆け巡っています。

前の記事でも書かせていただいたマルセロ・アルバレスと同じく、2011年、東北地方太平洋沖地震が起こった年、放射能への不安から、来日が予定されていた様々な海外オペラハウスの公演でキャストのキャンセルが相次ぐ中、彼もまたマルセロと同じく急遽来日し、代役を務めてくれました。

また1人、素晴らしいオペラ歌手が舞台から姿を消しました。

どんなにカーテンコールをしても二度と観客の前に姿を見せることはありません。彼の生の舞台はもう観ることができないのです。

今はただただ、ご冥福をお祈りするばかり。合掌。

May his soul rest in peace.

 

〜 prologue (備忘録) 〜

以前勤務していた会社では、日本のお客様に向けて世界の経済情報等を配信しておりました。その情報の片隅に交代でコラムを書くスペースがあり、私も書き手の中の1人だったのですが、私が書く内容は主に趣味のオペラ・バレエのこと。(たまにそれ以外のこともありましたが)

大変有り難いことに、趣味を同じくされる方々、また、普段の生活ではなかなかお知り合いになる機会もないであろう方々とも、このコラムを通して接点を持たせて頂き、退職した今でも素敵なお付き合いをさせて頂くことが出来ております。

社長をはじめ、それをサポートしてくださったマーケティングの方々には今でも感謝の気持ちしかありません。

 

会社やお取引先の個人が特定出来てしまうような記事を除き、一部ではありますが、配信したコラムをこちらにまとめ、記録しておくことに致しました。

あくまでもお客様向けに書いたものですので、あたりさわりのない内容、非常にあっさりした内容となっています。

 

オペラ・バレエ以外の趣味以外に「ジャニーズ」という一見まるで異なるジャンルのように思われるような趣味も持っています。私にとってはオペラもバレエもクラシックもジャニーズも全て同列。非常に素晴らしい舞台芸術だと思っています。

 

一段落したらまた色々書き始めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

「続・劇場に行こう」 ~ 丸ちゃん欠乏症につき ~ (2016年5月26日)

私の好きなオペラ歌手の1人がマルセロ・アルバレスです。

彼はアルゼンチン出身のテノール歌手で、大学で経済学を専攻し、卒業後は家業を継いで実業家として働いていたのですが、30歳の時に経営していた家具工場を売ってイタリアに移住し、オペラの道に進みました。それからたった1年で劇場へのデビューを果たし、そこからはあっという間に世界の一流テノール歌手の仲間入りを果たしました。まるで物語のようなオペラ人生です。

 

ネットで検索する彼はとてもハンサムですが、実際の彼は写真の中の彼と比べて約1.5倍くらいの大きさです。もしかしたら、今はもっと大きく成長しているかもしれません。

たっぷりの愛を込めて「丸セロ・豚バレス」というファンの方もいらっしゃいます(愛が詰まってます、本当です!)が、私を含め大半は「丸ちゃん」という愛称で彼のことを呼んでいます。

 

2011年、東北地方太平洋沖地震が起こった年、来日が予定されていた様々な海外オペラハウスの公演でキャストのキャンセルが相次ぎました。表面上は何やかや理由をつけてのキャンセルでしたが、余震への不安、その他の心配事等のニュースが世界中を駆け巡っており、不可抗力とはいえ何だかやりきれない思いでいっぱいでした。

そんな中、メトロポリタン歌劇場公演とボローニャ歌劇場公演、両方とも急遽来日し代役を務めてくれたのがこの丸ちゃんです。

 

その時期くらいから、歌いっぷりが円熟味を増して素晴らしくなってきていましたが、まだ若々しさも残っていて、強い志のあるメッセージ性の強い歌声を聞かせる一方で、青臭い若者の弱さや嘆きを切々と歌い上げるそのテクニックに胸がズキュン。それまでは「気になる歌手」だった丸ちゃんが一気に「大好きな歌手」に。この出来事がなかったとしても、そのあたりで確実に大好きになる、そんな美声をお披露目してくれました。

 

テノールの声は一般的に「テノーレ・レッジェーロ(最も軽く、高い声)」、「テノーレ・リリコ(最も一般的なテノール - 高らかで輝かしい声)」、「テノーレ・スピント(重量感があって力強い声)」、「テノーレ・ドラマティコ(テノールで最も重い声、ワーグナーで言えばヘルデン・テノール)」の4つに分けられますが、彼はリリコからスピントまでをこなします。正統なベルカントのテクニックの持ち主で、彼のベッリーニドニゼッティは素晴らしく、泣けるシーンでのドラマティックな歌声は女子男子の心を鷲掴みです。ヴェルディプッチーニなど、所謂ヴェリズモ・オペラでは、折角の彼のベルカントが崩れてしまう、と嘆く方もいますが、私は彼のヴェリズモも大好きです。つまり彼の歌は基本的に何でも好き(笑)です。

 

彼の声は張りがあり伸びがあり艶やかで、背も高いので舞台での見栄えもよく(豚バレスになる前は相当なハンサムでした。)、2013年のトリノ王立歌劇場「トスカ」公演を最後になかなか来日の機会がありませんが、映像で見る最近の彼は、以前にも増して存在感が大きくなっており(身体の大きさじゃなくて、、、、、いや、もしかしたら身体もそうかもしれない。)、早く次の来日がないかと首を長くして待っております。

 

ボローニャ歌劇場公演で彼が演じたのはビゼーカルメン」のドン・ホセ役。

翌々日に鑑賞を控えつつ、その日は別演目の「清教徒」を鑑賞しており、その幕間でシャンパンを嗜んでいたら隣のテーブルにサンドイッチ3箱を持って一気食いしている背の高い髭面のおじさん。よく見ると丸ちゃんではありませんか!!!

そっと隣に行き、「あなたの大ファンです、先日のメトロポリタン来日公演にも行きました!明後日も行きます!!」と話すととても喜んでくれて、彼の方から「一緒に写真を撮りましょうか?サインもしますよ。」と言って頂き、ペンを持っていなかったのでサインは諦めて写真を撮ってもらいました。すると、その様子に気が付いた他のオペラ・ファンの方々が集まってきて、丸ちゃんあっという間に完全包囲。そこで彼の言った言葉が

 

「ごめんね、彼女だけなんだ。」(と言って私をハグ。)

 

周りを包囲する丸ファンに申し訳ないと思いつつ、その時の私は床から15センチほど浮いていたに違いありません。

 

そして翌々日、「カルメン」鑑賞が終わった後、彼がファンにサインをしてくれるというのを事前に聞いていたため、一緒に撮った写真を大きく引き伸ばしたものを携えて、写真へサインを頂きに行きました。

「あー、君か、来てくれたんだね、有難う。」(ハグ )→ 周囲からの羨望の眼差し → 私、地上から30センチ浮き上がる。

 

こんな、ファンに優しいんだか冷たいんだか、いや、基本的にはとても優しい丸ちゃんですが、今月のスカラ座での出演を終えて間もなくチューリッヒブエノスアイレスで「トスカ」、その後ウィーンで「トゥーランドット」、パリ・オペラ座で再び「トスカ」。年末から2017年の年始にかけてNYのメトロポリタンで「マノン・レスコー」と「カルメン」、そのあとはチューリッヒで「仮面舞踏会」、、、、、彼のスケジュールは常にチェックして、東京での公演を待ちわびている昨今です。5年以上先まで彼のスケジュールはいっぱいとのことですが、その中に「Tokyo」が入っていますように。。。。いい加減、生丸ちゃん不足です。

 

本日もミーハー絶好調なり。本日もどうぞ宜しくお願い致します。

 

「続・劇場に行こう」 〜 The Audition 〜メトロポリタン歌劇場への扉 〜 (2016年2月26日)

本日はずいぶん前に観た映画の話です。

 

「The Audition 〜メトロポリタン歌劇場への扉」は、NYのメトロポリタン歌劇場で毎年行われているオーディションの2007年のドキュメンタリー映画で、日本では2009年に公開されました。

上映期間が2週間と非常に短く、上映も限られた劇場のみ。どの劇場でも上映が1日1回だけ、という中で頑張って行ったのですが、その甲斐ある、余韻の残るいい映画でした。

 

応募者1,500人の中から、オーディションを勝ち抜いてきたファイナリスト11人の話ですが、レッスンをこなしながらさらに力をつけ、夢の舞台を目指す過程が非常に興味深く描かれていました。

映画の中で、芸術監督であるジョナサン・フレンドの一言「大切なのは技術ではなくどう伝えるか。」は当たり前だけど的確で、今でもしっかり記憶に残っています。

プロフェッショナルですから、技術が一定のレベル以上であるのは当然ですが、技術がどんなに優れていても、「伝える」ことが出来なければ聴く人を感動させることは出来ないのだよ、ということです。

そういえば、技術が優れているのに感動が湧き上ってこない、そんな舞台を観たことは何度もあり、一方で、多少音が正しいところにヒットしなくても熱のあるいい舞台もあり、まさに伝えようとしていることが「伝わる」か「伝わらない」が舞台の出来の違いなのでしょう。

 

様々な葛藤と人間模様の中で、短い期間にもかかわらず最高の指導者達の元、暖かい励ましと的確なインストラクションで成長を遂げていく歌手達の底力というものを映画を通して目の当たりにし、世界の一流の舞台に上がろうとする歌手達の努力、貪欲さ、それに、改めて芸の道への厳しさを思い知りました。同時に、夢を目指して進むということはなんとエネルギッシュで素晴しいことなんだろう、と感じるとてもいい映画でした。

 

当時の私のお気に入りはワーグナーを歌ったアンバー・ワーグナー、「ノルマ」から「清き女神」を歌ったアンジェラ・ミード、「連隊の娘」から「メザミ」でハイCをしっかり決めたアレックシュレーダー、そしてチレアを歌ったライアン・スミス。

 

アンジェラ・ミードは2008年に体調不良の歌手の代役で急遽舞台に立ったことをきっかけにメトでデビューし、その歌唱の素晴らしさで賞賛を得、その後は毎年メトで重要な役をこなす一流歌手の仲間入りを果たしました。

レックシュレーダーも時々メトで歌っているようですし、アンバー・ワーグナーはメトでの活躍は耳にしませんが、きっと世界のどこかの舞台で活躍しているのかも、、、と思いつつ、時々ネットをチェックしたりしています。

 

ライアン・スミスは貧しく、様々な事情から歌を続けることが出来ずに 一旦は歌から離れたのですが、2年だけ、2年経って芽が出なければ歌手の道は諦めると両親と約束し、成功を夢見て歌の道に戻ってきました。一流の指導者の下、信じられないスピードで素晴しい歌手へと変貌していく様子は、映画を見ながらも本当にワクワクしてしまいました。

本選で歌い終わった後、拍手の嵐の中を小走りで舞台の袖に引っ込んだ途端、ボイスの先生が感極まって涙しながら駆け寄り彼をハグ。彼もハグされながら、やり遂げた感満々の笑顔いっぱいで、歌を愛して愛してやまない、という気持ちが溢れ出ていました。この時は映画館の客席ももらい泣き、すすり泣きで溢れていました。

 

見終わって感動に浸っている中、映画のエンドロールに「この映画撮影から1年半後の2008年11月、ライアン・スミスが悪性リンパ腫でこの世を去った。」という一文を見つけた時はとてもショックでした。

残念ながら彼は大きく華々しくこの世に出ることは叶わなかったけれど、こうして人生の一瞬の素晴しさを切り取ったような、こんないいフィルムが残り、何年も経った今でもこうして感動を残してくれていることは本当に凄いことだと、今も思っています。

 

本選の入賞者も、入賞しなかった人たちも各々活躍をしているようですし、いつかきっとどこかで彼らの舞台にめぐり会って、また違う感動を得たいものです。

 

さて、ずいぶん前に見た映画のことをどうして今頃、、、、とお思いになられたでしょうか?実は、つい先日、この映画のDVDをようやく見つけて購入したのです。

手元に届くまであと2週間ほどかかるようですが、待ちきれず、かつての記憶を思い起こしながら、今朝はこの映画のことについて書かせていただきました。

 

本日もどうぞよろしくお願いいたします。

「続・劇場に行こう」 ~涙と感動、最後の「ボレロ」 ~ (2016年1月28日)

あっという間に1月が終わろうとしています。ついこの間新年を迎えたばかりだというのに、月日が経つのは本当に早いものです。

、、、、、なんてことを書いておきながら申し訳ありません。今更ではありますが、昨年末のお話です。

 

皆様はジルベスター・コンサートをご存知でしょうか?

「ジルベスター」とはドイツ語で「大晦日」を表す言葉です。オーチャードホールで毎年行われる、大手企業冠のこの公演は、日本国内で開催されるクラシックの代表的カウントダウンコンサートで、今回の2015-2016年で21回目となりました。

 

過去にも錚々たる演者がカウントダウンを華やかに盛り上げたのですが、2009-2010に引続き、マエストロ・大友直人氏が率いる今回のジルベスターの見所は、なんと言ってもシルヴィ・ギエムの「ボレロ」。

 

ギエムは、パリ・オペラ座のエトワール、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルをつとめた以外に、各国のカンパニーでゲスト・ダンサーとして招かれ活躍した現代最高のダンサーで、100年に1人出るか出ないかとまで言われるほどのバレリーナです。

50歳で引退を決めた2015年、世界各地で最後のツアーを行った彼女がラスト・パフォーマンスの地として選んだのが、日本でのこのジルベスター・コンサートでした。

 

彼女の代名詞のように言われた「6時のポーズ」、、、 1本の足で立ち、もう片方の足を耳につくほどまっすぐ垂直に上げても、彼女の軸は全くぶれることはありません。彼女の身体は信じられないくらい、しなやか且つ強靭で、恐らくすべてのバレエダンサーが、喉から手が出るほど欲しい、そんな身体の持ち主です。

 

今回披露された「ボレロ」はラヴェル作曲の10数分ほどの楽曲に、モーリス・ベジャールが振付けた作品で、ギエムの代表作品の1つでもあります。

ベジャールが認めたダンサーのみが踊ることを許されている作品で、踊りたいからと言って誰もが踊れるわけではありません。ギエムは「踊ることを許された」ダンサーの中の1人なのです。

休みなく単調なリズムを刻み続け、踊り続け、後半に行けば行くほど動きが大きく激しくなる容赦ない振付けで、魂が入り込んだ一流ダンサーの踊りは観る人を圧倒します。

 

指揮の大友直人氏が薄暗い舞台の上、僅かな灯りの中でそっとタクトを動かし始めると、静かに静かに音が流れ始めます。

真っ暗な舞台の上、赤い円卓の上に立ったギエムの手だけにスポットライトが当たり、まるで天の岩戸を少しずつ開いていくかのようにゆっくりと弧を描いていきます。単調なリズム、単調な動きから始まり、楽器が加わっていくに従い、ライティングも踊りも少しずつ変化していきます。彼女が旋律を踊り、男性のみで構成された群舞がそれを取り囲むようにリズムを踊ると、舞台の上もオーケストラも、そして観客も音楽と共に少しずつ高揚していき、あとはクライマックスに向かってただただ一気に昇華していく、そんな作品です。

 

彼女が踊る姿を観るのは本当に、本当に、本当にこれが最後だと思うと、瞬きも息をも止めたい気分でした。

非常に丁寧に踊っている彼女を観ていると、引退するなんてとても勿体なく思うのですが、全ては彼女の決断。とにかく、ラストを迎えるこの空間に共にいて、同じ空気を吸っている幸せと感謝、今この目で舞台を観ている感動だとか、淋しさだとか、過去に観に行った舞台での彼女の姿を思い出したり、全ての感情が一気に上がってきてしまいました。同時に、その場にいることが実感できないようなふわふわした不思議な感覚もあり、そんな中で、彼女の魂のこもった一挙手一投足を見逃さないよう、ただただ舞台を見つめるのみ。

 

終盤に向かうにつれ、ギエムの踊りも表情も凄まじくなり、それを彩るオケも鬼気迫っていたように感じたのは私だけではなかったと思います。会場全体の空気は最後まで張りつめたままで、熱気がどんどん高まって行き、ギエムが円卓の上で力強く手を伸ばしたかと思ったら、次の瞬間、周りからかぶさってくる沢山の手の中に消え、同時に音楽が最高潮のところでぴたっとと止み、舞台は暗転。

何もかもが一瞬で終わった、まさにその「瞬間」にギエムは遂に踊りをやめ、観客にさようならを残し、2015年は終わりを告げ、そして2016年を迎えました、、、、、圧巻。

 

私の2016年は、凄まじい熱気、高揚、最高の感動、涙と鳥肌とブラボーで始まりました。

この気持ちのまま、2016年を駆け抜け、今年もまたオペラをはじめとする舞台芸術鑑賞に勤しみたいと思っている次第です。

 

さて、この模様は生中継されており、私も年が明けて落ち着いてから録画していたこの番組を見直しましたが、この放送を見てびっくりしたことが2つありました。

 

まず、2015年から2016年に変わる瞬間にぴったりとボレロの演奏が終わっていたこと。

演奏とカウントダウンのタイミングを合わせるのはとても困難で、過去には結構なタイミングのずれのあった回もありましたが、とりわけボレロは、音楽が最高潮のところで終わるため難しく、ギエムの有終の瞬間であったことを考えると、このタイミングは本当に凄いことだったと思います!ブラボー、マエストロ!

 

踊り終わった直後に流れたギエムの最後のメッセージは、今思い出しても、そしてこれを書きながらでもまた泣けてきてしまいます。

「さようならは決して簡単なことではありません。どのように言っていいかもわからないし、本当は言いたくもありません。

でも私は踊ることが大好きです。ですから踊りを皆様のために、このさようならに!!!

あぁ、涙、涙、涙。

 

2つ目は、鳴り止まないカーテンコールとスタンディングオベーションの観客の中に、おもちゃのチンパンジーの100万倍くらいの速さで必死に手を叩いている私が画面の中にいたこと。

間違いなく感動の最高潮に達していたその瞬間なのですが、客観的に見てなんとブ〇〇クなことかと、、、、、おかげさまで私以外、家族全員揃の初笑いの種となりました。

納得行かない点もありますが、先ずは周りに笑顔をもたらしたということで、これもまたいいスタートを切れたと自分自身を納得させております。

「劇場に行こう」 ~ 白鳥の湖 ~ (2015年2月12日木曜日)

男性の皆様、自分の奥様を両腕で頭上に抱え上げて何分間直立し続けることが出来ますか?(、、、、そもそも抱えあげられますか?)

女性の皆様、片方のつま先だけで立って、足を上げて何分間バランスをとっていられますか?

 

先週土曜日、インフルエンザでダウンした小さな可愛いお嬢さんに代わり、くたびれたおばさんの私がピンチヒッターで松山バレエの「白鳥の湖」鑑賞に行ってまいりました。

 

松山バレエと言えば、森下洋子、清水哲太郎ご夫妻のペアがあまりにも有名ですが、2人揃って御齢65歳。

なんと、合計すれば130歳のこのお二人、未だに現役でバレエを踊っているのです。

 

白鳥の湖」は誰もがよく知っている作品で、だからこそテクニックも表現力も最高が求められます。少しでもつまらないとあっという間に眠りに落ちてしまう難しい作品なので、これを65歳のペアがどう踊るのか楽しみである反面、本当にこの方々の踊りで観客を満足させられるのだろうか(失礼!!)等々、複雑な気持ちも多少ありつつ会場へ向かいました。

 

結果から言うと、、、、、満足でした。

 

前述の通り、本作品は高度な技術と表現力が要求されるバレエなのですが、そこは「新版」と銘打って、踊りの変更だけでなく曲順も入替え、演出もどかーーーんと変更したなかなか斬新な「新版・白鳥の湖」でした。

これは森下・清水ペアだからこそ許された演出であって、他のダンサーには絶対に許されないだろうな、、、と。

最大の見せ場である32回転のグラン・フェッテ・アン・トゥールナンもなく、オデット、オディールの他の見せ場も若いダンサー達のヴァリエーションやコーダにとって代わったりと、やや不思議演出で残念な箇所もありましたが、一般的には、65歳の方が16歳と21歳を演じる機会は、(宴会以外では)非常に少ないと思われるので、多少の違和感はあれど遠目にはそう大きな問題もありませんでしたし、何よりチュチュや白タイツをまだ着られる勇気と体型を維持できているということは本当に驚きでした。

 

ただそんなことを言ってはおりますが、技術の衰えを丁寧且つ正確な踊りでカバーしており、まるでレッスンVTRを観ているような安心感、安定感があり、二幕のオデットとジークフリート王子のアダージオは美しく、お二方が長年かけて培った、そして今も尚キープし続けているしっかりした技術をこの目にしっかりと焼き付ける事が出来、いつもとは違う感慨深さを味わうことが出来ました。

そのアダージオの間は会場のあちこちから鼻をすする音が聞こえてきましたし、未だに衰えないダンスへの執念と愛情、それを見守る観客の皆様の温かさを感じた舞台でもありました。

 

ダンサーは、若く技術もあり美しい頃には表現力が足りず、ようやく表現が出来るようになった頃には技術も美しさも下降線を辿り始めると言われます。

また、ダンサーの引き際も難しく、かつて森下さんがパートナーをつとめた伝説のダンサー、ヌレエフも最後の方は老体が痛々しく、引き際の難しさを痛感したものでした。

しかし一方で、定年後(パリ・オペラ座には42歳での定年制度があります)のマニュエル・ルグリの踊りはいまだノーブルで美しいですし、間もなく42歳になる熊川哲也氏も未だバリバリの現役で観客をぐいぐい引き込みます。

数年前に観た往年の名バレリーナ、マイヤ・プリセツカヤの80歳での「アヴェ・マリア」は大変に素晴らしく会場全体が感動に包まれたことを思い出しました。

色々思うと一概に語ることは出来ず、バレエだけでなく全てにおいて引際とは何なのか、いつなのかということを決めるのは難しいものだと改めて思いました。

 

いずれにせよ、あれだけコアのしっかりしたグランド・ピルエット・ア・ラ・スゴンドには驚きましたし、トゥで立ってアラベスクのポーズで支えなくバランスをとる姿を観て、あぁ、身体を動かすなんて億劫だわ、なんて言っている場合じゃないと思った次第です。

 

この貴重な舞台鑑賞の機会を与えて頂いたことに感謝するとともに、インフルエンザでダウンしたお嬢様の1日も早い回復をお祈りします。