華麗なるアクロバットはSnowManの肩書き
喧嘩じゃないよ。今思ってることを書いておきたい。
横アリのSnow Man単独ライブでは期待していたアクロバットが見られなかった。
見られなかったのは全員でやるアクロバット。
ここでいう「アクロバット」は何も台宙とかバク宙とかSnow Manが今までやってきた華麗すぎるほど華麗で、初見の人が声をあげてしまうようなダイナミックで美しいものを指すのではなくて、側転でも何でもいいからほんの少しだけでも全員で何かするのが見たかった、ということです。
歌舞伎も控えているし、怪我したら全てが台無しだから、横アリでは確かに披露するのはリスキーだったのかもしれない。
でも見たかった気持ちが
「だがしかし、アクロバットを売りにするグループがアクロバットなしとは」
という呟く結果になった。
もう削除しちゃったけど。
「アクロバットなんてなくていい。常に危険と隣り合わせ」的な(かなり割愛)意見を目にしたけれど、Snow Manが自らの武器として売りにしてきたアクロバットをそんな言葉で封印していいのかなぁ。
アクロバットは確かに危険だし体力も技術も必要だから、いつかきっとやらなくなる日は来るだろうなとは思っているけれど、でもやるかやらないかを決めるのは私たちじゃないし、いつやらなくなるのかも私たちが判断することじゃない。
危険かどうかを判断すること、この先アクロバットを封印するかどうか、いつやらなくなるのかを決めるのは外でもない、プロフェッショナルである彼らだと思ってる。
やってもやらなくてもどっちにしても好きだから必要以上に固執しているわけではないけれど、見せてくれるうちはワーキャー黄色い声援を送りながら見たい。
実際グループとして全員でするアクロバットの見せ場はなかったけれど
いわだてさくの空間を自在に操るかのようなバク転バク宙は涙が出そうに美しかったから、出せる限りの声を出して、思い切り手を叩いて、すごいすごい!っていう気持ちを伝えた。
アクロバットを売りにしてきた彼らがアクロバットの少なめの舞台を見せて「もっと見たかった!」という声が出ない場合、「あれ?」って思わないかな?それも少しだけ考えたんだけどまぁ書き方は確かによろしくなかったんだろうな。
本当はもっと大きな声で
って称賛の声を送りたいし(見せてくれる以上はね)、
側転だろうがでんぐり返しだろうが、今できるものを見せて欲しかったなと思っただけなんだけど言葉選びはいつも難しい。
何も声が出ない方が寂しいと思う私の意見もエゴかもしれないけれど、アクロバットやめて、というのもエゴじゃないのかな。
ファンなんてエゴの塊のようなもの。
違う種類のエゴを抱えた同士でどっちが正しいなんて言い合っても何にもならないよ。
あべなべが台宙した時本当に興奮した。
大丈夫かなって心配もあったけれど、それを友達に言ったら
「やるかやらないかを決めるのはあなたじゃない。彼らは武器にしたいから見せている、努力してる、それを披露したら精一杯の賛辞を送るのがファンができることなんだよ!」と諭された。
今でもメディアで紹介されるときはアクロバットの得意なグループ、って枕詞がつくし、だから思うのです、Snow Manのアクロバットは武器、Snow Manの名刺につく肩書きだって。
いつかはきっとやめる時がくると思う。
欲を言うとこの先もうしばらくは見ていたい。
その時まではちょっと期待はさせてほしい。
それだけ。
ツイッターではもう呟けないからここに残しておきます。
アクロを望まないのもわかるけど望む気持ちは否定しないでほしい。
あれは彼らが時間と努力を積み重ねてきた武器なんだから
するしないをファン同士で議論しても決めるのは彼らだからねぇ。
アクロバットをすることを当たり前だなんて思ったことは一度もないからね。
最後にひとつ。
アクロバットだってスポーツだってなんだって危険と隣り合わせ。
私がやっていたバレエだって靭帯断裂だってそこかしこで起こってた。それ以上の怪我もあった。だからみんなひとつひとつに真剣に向かい合って、たとえプロじゃなくてもプロのような心構えで念入りな準備と練習をしてた。
リフトとかフィッシュだいぶなんてアクロバットそのもの。それをトゥシューズでやっているんだし。
あれやってほしくない、これやってほしくない、ってなると極論で言えばマイク持ってただ棒立ちで歌っていればいいってなるから。
そんなこと自由に言っていいなら、現状いやだな、って思ってることも全部言わせて!ってなるから笑。
勢いで書いたので乱文失礼しました。